国や県の動向

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昭和二十八年(一九五三)九月一日、町村合併促進法が公布され、十月一日施行された。政府は町村合併により弱小町村を解消し、町村規模の適正化をはかることで地方自治の基盤を強化しようとした。これには地方行政を簡素化し合理化する意図もあった。もちろんこれは国側の都合であって、合併の対象地域にとっては、必ずしも地方自治の基盤強化が達成されたわけではない。町村合併はこれまでにも明治期、昭和戦前期に大規模な形で行われ、その都度紛糾し、紆余曲折を経て実施されてきている。
 合併計画が比較的に紛糾もなく推進されたところには、県や国が直接介入したり、強い権限をもって牽引した場合が多い。合併の対象となる地域住民にとっては、国側か考えるような地方自治運営の基本方針よりも、自らにとってどれだけの利点があり、きめ細やかな行政サービスが受けられるかが大切になる。普段は意識されない生活習慣や周辺町村との交流関係、歴史的な重みなども重要な意味をもつ。
 青森県では国が町村合併促進法を公布する前年の昭和二十七年ごろから合併に対する機運があった。県の地方課が中心となり、当時合併先進地といわれた福島、千葉、長野各県を視察し、その報告をもとに県町村会で合併方針を検討していた。県は昭和二十九年一月九日、青森県町村合併促進審議会を設置して合併対策に着手した。昭和二十八年中に町村合併促進審議会を設置するよう国側の要請があったためである。何度かにわたる審議の結果、八月十二日、青森県市町村合併計画が策定され、九月十三日に議会で可決され公示された。青森県の合併問題はここに本格的な段階に入るのである。