賛成派も反対派も弘前市の経済的発展を主張している点では共通していた。賛成派が自衛隊の誘致による経済効果を重視するのに対し、反対派は岩木山麓開発事業を優先しようとしていたことがうかがえる。それに国家防衛問題と平和憲法をめぐるイデオロギー対立、アメリカとの外交関係など、国家的規模の問題が関与していただけに、自衛隊誘致は市全体を巻き込み大きく揺れ動いた。
しかし昭和三十一年(一九五六)十月二十三日のハンガリー動乱でソ連軍が出動し、二十九日にはスエズ動乱が起きた。世界情勢が不安定に陥ったことから、市当局も自衛隊の誘致が必要との認識を強めた。
さらに市一帯を襲った昭和三十三年の大水害で、自衛隊が救済活動に従事してからは、自衛隊に対する市民の信頼感と必要性も高まった。その結果、市民の間にも自衛隊誘致を必要とする世論が強まった。五年後の昭和三十七年十二月の議会で、弘前市への自衛隊誘致はついに決定を見た。しかしその自衛隊も、現在長引く不況と財政難のために、縮小ないし廃止する候補となっている。