高度成長の最中であった昭和三十年代の中葉に、日本においては春闘と呼ばれる賃金交渉の方法が定着し、毎年春期に労働問題が白熱化した。こうした春闘では、しかし、高度成長の終焉とともに、賃金の上昇率が抑えられる傾向となり、労働争議が頻発した。オイルショック後の時期には物価騰貴も著しく、名目の賃金上昇は大きかったが、実質的な賃金の上昇傾向は抑えられたのである。そしてまた、実質経済成長の停滞と、物価騰貴の併存は、多少の名目賃金上昇を消し去るほどであった。このような傾向は世界的にも一般的であり、スタグフレーションと呼ばれ、その解決は重要な経済問題であった。
労働者の賃金については、特に中小企業の賃金の低さが問題であった。昭和五十年に弘前労働基準監督署は、最低賃金の実施状況について、家電関係、縫製、印刷、クリーニング、津軽塗、家具の各業種について、抜き打ち調査を実施した。その結果、最低賃金が守られていない事業所が四ヵ所あり、対象労働者は三五人であった。最低賃金を守らない理由は、知らなかったもの、知っていても経営上の理由により守れないもの、高齢者につき、能率が落ちるとの理由で最低賃金の規定から除外しているものなどであった(『弘前商工会議所会報』二一七)。