昭和三十九年(一九六四)四月一日、中野一丁目に弘前市立文京小学校が創設された。
同校の前身は松原小学校で、学区は中野、三嶽(みたけ)、松原地区一帯で、同地区は自由学区として、児童は第二大成、松原、千年の各小学校に自由に入学することができた。自由学区の児童数は六〇四人に上り、松原小学校PTAは三十六年八月、自由学区解消を市教委に陳情していた。市教委も事情を了承し、三十九年四月一日をもって自由学区を解消して、中野の市立商業高校跡地に一校を新設することを決定、校名を「枡形小学校」「城南小学校」と仮称したが、同校建設期成同盟委員会は校名の答申案を審議し、「城陽」「城南」「文京」を答申。その後市教委から文京小学校の校名が通知された。
開校時の職員は、初代校長越野慶吾ほか一〇人、児童数三三一人、七学級編成、新入学の一学年のみ二学級であった。同校はその後逐年校舎を建築したが、学区一帯が住宅地として急激に発展したため、児童数も急増し、その都度校舎の全体計画に修正が加えられ、一応の完成をみたのは四十六年十一月であった。しかし、同校の児童増加はさらに続き、またまた増築。校舎竣工記念式を挙行したのは昭和四十九年十月一日で、同校創立十周年記念式と同時に行われた。なお、文京小学校の開設により松原小学校は廃された。