昭和四十二年(一九六七)四月、青森県教育委員会は県内最初の言語障害学級を教育相談センターとして、青森市に設置しようとしたが、言語障害児童指導専門の手塚敏教諭の意見を聴取して、弘前市立第二大成小学校に開設することにした。言語障害児の治療指導には当事者だけでなく、専門家の助言が必要であり、その点弘前大学教育学部、同医学部がある弘前市が最適であり、付近に医師の多い第二大成小学校が適当と判断されたためである。言語障害学級担当教員として、第二大成小学校に手塚敏教諭と三浦充子教諭が着任、開設準備に取りかかった。直ちに教室の改装を始めたが九月に完成し、指導を開始した。
教室の名称を「ことばの教室」とし、弘前の言語障害児一五人を収容して固定学級として発足した。ちなみにこの時点での全国の言語障害教室は、一七ヵ所を数えるにすぎなかった。「ことばの教室」が開設されると、弘前市内だけでなく、黒石市や大鰐町などから続々と入級の申し込みがあって、言語障害に困っている子や親が多いのに担当の手塚らも驚いたという。当時の藤森睿市長は特殊教育に理解深く、広く門戸を開放して、津軽一円の子どもの治療指導を指示したという。それを受けて第二大成小学校「ことばの教室」は、四十二年十二月、県下を対象に最初の「ことばの治療室」を開設して、教育相談に応じ大いに喜ばれた。なお、治療教室は夏冬の休業中に開設されている。