西小学校の創設

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昭和四十年、弘前市は三ヵ年計画で、市内樋の口地区に広さ四一・二ヘクタールの城西団地を造成した。団地の戸数一四〇〇戸、その子弟はすべて城西小学校に入学した。そのため同校は四年間に数百人の急増で、校舎はパンク寸前、四十四年から三回の増築も間に合わず、四十五年度に至って職員室を教室とし、廊下を職員室の代用にするありさまであった。
 弘前市議会は四十六年(一九七一)十二月二十三日、議案第一〇九号をもって一校を新設することとし、これを弘前市立西小学校と命名した。西小学校は弘前市樋の口町一四六の一(現茜町三丁目二番地一)に敷地を定め、四十六年七月二十一日から校舎新築に取りかかった。翌四十七年三月十三日第一期工事竣工、同年四月一日開校した。初代校長相馬斉、職員は校長ほか一九人、一四学級編成で児童数五六三人、うち五〇〇人は城西小学校から転校したもの。しかし、校舎が未完成のため、三学年以上は城西小学校校舎を借用し、一、二学年だけを新校舎に収容した。四十七年六月二十一日から第二期工事に着工し、同年十二月十四日竣工。同時に城西小学校を借用の三学年以上を新校舎に移し、ここで全学年が揃うことになった。西小学校の創設によって、弘前市内小学校附属小学校を含めて三二校となった。