スト権ストと国民の評価

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スト一年前の昭和四十九年十月に発売された『文藝春秋』十一月号に立花隆の「田中角栄研究」が発表され、オイルショック後のスタグフレーション(不況下での物価上昇)に苦しんでいた国民は不公平感を爆発させ、金脈追求・政治不信は世論となった。十二月、三木武夫内閣が田中に替わった。この自民党のよろめきは保革伯仲という政治状況を現出させた。この状況を見て、公労協は争議権奪還をかけてストライキ(スト権スト)を行ったのである。
 しかし、この大規模なストライキ日本の支配者を打ち破ることはなかった。交通運輸はマイカーやトラックの比重増大、通信は電話の自動化、ファックスやテレックスの普及で、産業界や国民生活の混乱は最小限に抑えられた。また、民間企業では減量経営が推進されて、労働者は厳しい労務管理下に置かれ、「親方日の丸」的な気楽な公労協の闘争に連帯して立ち上がることはなく、一般の国民も迷惑行為とみた。ストの敗北は日本の労働社会を変質させた。