(三)佐藤紅緑の活躍

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 佐藤紅緑(明治七-昭和二四 一八七四-一九四九 弘前市)が東奥日報社の記者時代に同紙に発表した、明治二十九年(一九九七)の「海嘯(かいしょう)の夜明」(同前No.七二一)と「乞食茶屋」が本県の小説の嚆矢(こうし)と思われる。紅緑が県文壇に及ぼした影響はきわめて大なるものがある。紅緑は三十九年に「中央公論」に自然主義的傾向の強い小説「あん火(か)」(同前No.七二三)を発表し、夏目漱石から注目された。
 以後紅緑は多彩な文学活動を展開していくことになるのだが、特筆すべきことは、紅緑に先立つ建部綾足(たけべあやたり)(江戸中期の津軽出身の文人)について、すでにこの時点で語っていることである(同前No.七二二)。なぜなら、津軽という風土が先駆的なこの偉大な文人を産み出したことを報告し、その文学と風土の〈関係性〉を探る重要な手がかりを示しているからである。紅緑の綾足への熱い思いには、胸を撃つものがある。

写真245 佐藤紅緑