神道の儀礼に付随し、民間の行事ともなっているのが、山車行事であり、屋台(ヤマ)と練(ね)り物・町印は祭礼の曵(ひ)き物として用いる。天和二年(一六一六)に八幡宮祭礼が始まり、山車は隔年に巡行された。練り物は年ごとに替えられ、山車を出した町内も一様ではなかったのが『奥富士物語』でわかる。弘前市の「山車展示館」には七台が陳列されている。
運行に際し奏される笛・太鼓・鉦(かね)の囃子は、和徳町のものが演奏可能であり、「弘前祭囃子稽古所」が《鐘巻(かねまき)》《祇園(ぎおん)》《夜神楽(よかぐら)》を復元している。明治以後では為信公三百年祭(明治三十九年)、市制百周年記念、県民文化祭など六回運行されている。