柔道で世界を制覇した男

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コンデ・コマの尊称で知られ、柔道で世界を制覇し、後にアマゾン開拓の父と慕われた前田光世は、明治十一年(一八七九)、中津軽郡船沢村(現弘前市)に生まれた。父・了は宮相撲で常連としてならし、栄世(幼名)とは幼少のころから二人でよく相撲を取ったという。後の光世の強さは、この父の影響が大きかったようである。
 明治二十六年(一八九三)、青森県尋常中学校(のち青森県立弘前中学校)に入学したが、二十九年、東京早稲田中学に転校している。翌年講道館に入門した。ここで光世は柔道と出会うことになる。後の世界最強の男の誕生である。講道館で光世は抜群の強さを発揮する。講道館主嘉納治五郎は光世をアメリカに派遣することを決意する。
 三十七年の暮れ、日露戦争の最中、二十七歳の光世は日本と講道館を代表して世界に柔道を広める使命を受けて渡米。時の大統領ルーズベルトも柔道に関心をもっていた。歓迎のなかで、光世は柔道の真価を知らしめるため、ボクサーやレスラーと試合を重ねた。以来、アメリカ、ヨーロッパ、中南米の各地を駆け回り、世界の強豪と歴戦する。空手までを含めたあらゆる異種格闘技の試合は、実に二〇〇〇試合を超えた。しかも柔道衣での試合は一度も負けたことがなかった。明治期にあって、さまざまな困難を克服して常に勝利を収めたということは、まさに驚嘆に値するといわざるを得ない。
 そのあまりの強さに、スペイン語で伯爵の意をもつ「コンデ」の尊称を得る。「コマ」は、闘う相手がいなくて困(コマ)るから取ったという。しかし、日露戦争に勝利した日本を西欧列強はしだいに敵視し始める。

写真306 前田光世