極東大会陸上競技で優勝・道川茂作

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道川茂作(どうがわもさく)は明治三十三年(一九〇〇)に、当時の中津軽郡堀越村門外(現弘前市)に生まれている。道川がいかに足が速かったか、それを伝えるエピソードがある。
弘前市内の病院長に足の速さを買われ、お抱えの車引きになった。道川がどのくらい速かったのか。語り継がれる話の中には、「ある日、いたずらをした道川を警官が見つけ自転車で追いかけたが、速すぎて追いつけなかった」「大鰐にモヤシを買わせにやったら、汽車を追い越してしまった」という類のエピソードが数々残っている。
(『青森20 世紀の群像』東奥日報社、二〇〇〇年)

 事実、道川選手は国際大会において新記録で優勝している。昭和二年(一九二七)八月に中国・上海市で開催された第八回極東選手権大会の一万メートル決勝で三四分五六秒のタイム(資料近・現代2No.六八九)で一着でゴールインした・東奥日報は「我が道川選手遂に一着」と見出しをつけ、「一万米(メートル)は曾ては無名の一青年であった本県出身の道川茂作が断然リードして敵に譲らず」と報じている。圧倒的な勝利であった。前掲書『青森20世紀の群像』はこう伝える。
道川はスタート直後から先頭に立ち、レースを引っ張った。猛暑もどこ吹く風-といった走りで、他の日本選手をぐんぐん引き離していく。地元中国やフィリピンの選手は、道川に何度も抜かれ、どこが先頭か分からなくなってしまった、道川はそのままトップを守り続け、悠々と優勝してしまった。その走りを目の当たりにした役員や選手たちはあきれ返ったという。


写真309 道川茂作