14シーズン目
明治天皇崩御、明治から大正へ「7月30日に明治天皇が崩御され、慶応義塾では野球部、弓術部などが活動を休止したが、ラグビー部は11月3日の塾内大会から例年通り実施している」(『慶応100年史』P121)。明治45年は8月から大正元年と改められた。
京都一中(現洛北高)にラグビー部創部
「当時はボート部員であった京都一中のラグビー部創始者の香山蕃は、明治45年1月10日の慶大対三高のラグビー試合を観戦、この男性的なスポーツに、すっかり魅せられてラグビーのとりこになった。彼は一中にラグビーのチームを作りたいと、ボート或いは草野球等の仲間にラグビーをやるよう熱心に説いた」(『京都一中・洛北高ラグビー史』谷村敬介)。
創部はされたが対外試合はできず、もっぱら校内試合にとどめられた。「運動部員の乱闘事件が起こり、学校当局は各運動部員に学業平均75点以上と規制したため、対外試合不能となるが、学内では盛んに行われた」(片岡メモ)。
日本初の中学生試合
6月5日に三高グラウンドで同志社普通部と京都一中の試合が行われ同志社普通部が23−0で快勝した。
M45(1912).6.5 | ○同志社普通部 | 23−0 | ●京都一中 |
G:三高 | R:不明 |
その他の主要試合
〈関東〉 | |||
T1(1912).11.16 | ●慶応義塾 | 0−15 | ○YCAC |
G:横浜公園 | R:ウィリー | 第17回対戦 | |
T1(1912).11.30 | ○慶応義塾 | 8−0 | ●YCAC |
G:横浜根岸 | R:ウィリー | 第18回対戦 | |
T2(1913).2.8 | △慶応義塾 | 3−3 | △YCAC |
G:三田綱町 | R:ウィード | 第19回対戦 | |
T2(1913).2.15 | ●慶応義塾 | 3−5 | ○KRAC |
G:三田綱町 | R:マクノート | 第5回定期戦 | |
〈関西〉 | |||
T1(1912).11.23 | ●三高 | 0−31 | ○KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第4回定期戦 | |
T1(1912).11.30 | △三高 | 0−0 | △同大 |
G:同大 | R:相馬竜雄 | 第2回定期戦 | |
T2(1913).1.11 | ●三高 | 0−11 | ○KRAC |
G:三高 | R:スペンス | 第5回定期戦 | |
T2(1913).1.18 | ●同大 | 3−18 | ○KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第1回定期戦 | |
T2(1913).2.5 | △三高 | 3−3 | △同大 |
G:同大 | R:松田守之助 | 第3回定期戦 | |
T2(1913).2.22 | ●同大 | 8−9 | ○KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第2回定期戦 |