大正8年(1919)度

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21シーズン目

慶応義塾の関西遠征
 慶応は3戦全勝で遠征を飾っているが、三高に3−0、同大に5−3と薄氷を踏む勝利であった。しかしまだ慶応の国内チームとの無敗記録は続く。
T9(1920).1.6○慶応義塾3−0三高
G:三高R:佐伯信男第7回定期戦
T9(1920).1.8○慶応義塾5−3同大
G:同大R:不明第8回定期戦
T9(1920).1.10○慶応義塾19−3●KRAC
G:神戸東遊園地R:スペンス第11回定期戦

第3回日本蹴球大会(豊中)
 この大会から中学の部と大学・高専の部に分けて行われることになった。しかし参加チームは中学の部2チームのみで、いきなり決勝戦となり同志社中が3−0で京都一商を破って優勝した。
関西ラグビークラブ(オールホワイト)創立
「このクラブは大正8年に杉本貞一氏を中心にして慶応出の脇・中野・石倉・佐々木の諸氏と同志社出の竹上・和田(川崎)・大脇・美濃部・上野等の諸氏が会合し、三高・同志社の発展に備えると共に関西ラグビーを普及するために関西ラグビークラブを創設した」(『関西ラグビー史』P115)。このクラブの創立は単にOBの親睦団体にとどまらず、関東に同様のAJRAの創立を促し、やがて関東、関西に協会を創立し、日本協会創立の母体となり、日本ラグビーの大きな流れを作ったことで画期的な役割を担った。
その他の主要試合
〈関東〉
T8(1919).11.29早大0−11YCAC
G:横浜根岸R:不明第1回定期戦
〈関西〉
T8(1919).11.15同大6−5●KRAC
G:神戸東遊園地R:不明第16回定期戦
T8(1919).11.29三高0−6○KRAC
G:神戸東遊園地R:不明第12回定期戦
T8(1919).三高0−3○KRAC
G:神戸東遊園地R:不明第13回定期戦
T8(1919).三高8−8△KRAC
G:神戸東遊園地R:不明第14回定期戦
T8(1919).12.6三高0−7同大 以降中断
G:同大R:ゼームス第9回定期戦
T9(1920).2.14三高0−5○KRAC
G:三高R:スペンス第15回定期戦
T9(1920).2.21三高0−9○KRAC
G:神戸東遊園地R:香山蕃第16回定期戦