昭和2年(1927)度

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29シーズン目

【協会】 年間スケジュールのはしり 日本ラグビー蹴球協会の誕生を受け、前年度まで個別に行われていた試合が、自然にグループ化され東西の大学勝者が競い合うようになった。新聞も無敗同士が東西決戦に勝つと全国制覇として報道するようになり、大学を中心とした各チームの年間スケジュールが固まってきた。
【ルール】 安全対策として「スクラムで離れて激しく組むこと」が禁止された。
【大学】 京大が初の全国制覇 京大は12月28日に東大を22−0、1月1日に11−5で慶応に初勝利を収め、1月7日に早大を14−11で下し関東勢に全勝、初の全国制覇を成し遂げた。初代大学チャンピオンの誕生である。/慶応義塾、初めて早大に敗れる 新しく昭和の時代を迎えたこの年[昭和元年はわずか6日間]に、ラグビー界は大きな転機を迎えた。無敵の慶応が、打倒慶応を目標に豪州遠征から帰国した早大に6−8で敗れ、国内チーム相手に無敗の記録が創部29年目にして終止符を打った。/関西大学対抗戦(関西大学リーグ戦の前身)始まる 関西では京大同大三高が対抗戦により優勝校を決めるようになり、京大が優勝した。『関西協会史』P82に「昭和2年12月4日、同志社大学を8−4で破って関西の覇権を握った京都帝大は、東都の三強をも破り全国に覇を唱えたのである」とある。
第1回関西大学対抗戦 昭和2年(1927)度 優勝 京都大学(1回目)
順位チーム京大同大三高
1京大○8−4○22−0200
2同大●4−8○33−0101
3三高●0−22●0−33002

【地域】 秩父宮杯第1回東西対抗 これまでの東西OB対抗でなく、名実ともに日本の東西ベストフィフティーンによる試合が、昭和3年2月12日甲子園球場において行われ、関東が9−6で関西を破った。この試合に秩父宮殿下がご台覧になり、関東主将の滝川末三に秩父宮杯が授与された。
【その他】 中学は同志社中、高専は大阪高が優勝 第10回全国中学大会は同志社中(2年連続8回目・全同志社含む)が、第3回全国高専大会は大阪高(1回目)がそれぞれ優勝した。
【国際】 早大、豪州へ長期遠征(0勝5敗) 早大が飛躍を期して豪州遠征を敢行した。成績は5戦全敗ではあったが、国際親善をはじめ大きな成果を得て、遠征を成功させた。7月13日に出発した一行は、遠征の前後にマニラ、香港等で3試合行い、帰国したのは秋風の吹く9月23日、実に73日間の大遠征であった。/同大第1回満州遠征(8勝0敗)、明大上海遠征(0勝2敗)を実施 日本のアジアへの進出という国策の影響を受けて、各校のアジア遠征が行われるようになった。『同大ラグビー史』P41に「今では考えられない様な過酷スケジュールであった。満鉄の招聘とはあるが満鉄以外の諸チームとの親善試合を交えて5日間で8試合も消化している。しかし全員真剣に戦い全勝することができ、満州ラグビー界の技術向上に貢献したと感謝された」とある。明大は上海へ初遠征を行った。/昭和3年1−2月、上海駐屯ウエールズ連隊チームが来日して5試合(関東代表、明大早大慶大、KRAC、YCAC)を行い4勝1分の成績を収めた。