昭和3年(1928)度

English Español

30シーズン目

【協会】 朝鮮、満州の協会が西部協会の支部として発足 朝鮮と満州にそれぞれラグビー協会が誕生、西部協会の支部として発足した。
【ルール】 日本協会「競技規則」を制定 日本協会はルールの統一解釈の必要性から、初代理事長田邊九萬三が、橋本壽三郎を委員長とする「競技規則制定委員会」を組織して、ラグビーの「競技規則」を作った。これが今日も連綿と続いている「競技規則」の原型である。
【大学】 京大慶大を下し2年連続の全国制覇 京大が関東5大学を制した慶大に12−3で勝ち、2年連続2回目の全国制覇を遂げた。/関東5大学対抗戦(慶大早大明大東大、立大)始まる、関西は京大が連覇 これまで対抗戦としてばらばらに試合をしていたのを、六大学野球のようにグループ化した。現在も続いている対抗戦グループの発足である。このあと、対抗戦参加校の希望が急増したことにより、昭和29年(1954)から昭和42年(1967)まで、対戦方法を巡って曲折があった。昭和43年(1968)以降は、リーグ戦グループと分かれて現在まで継続している。第1回の関東5大学対抗戦は慶大が全勝で優勝した。第2回関西大学対抗戦は京大が連覇(以後の関東、関西大学対抗戦の成績表は資料編参照)。
第1回関東大学対抗戦 昭和3年度(1928) 優勝 慶応大学(1回目)
順位チーム慶大明大東大立大
1慶大○13−11○16−5○48−0○18−3400
2明大●11−13○11−3○42−8○29−3301
3早大●5−16●3−11●11−16○14−3103
3東大●0−48●8−42○16−11●22−5103
3立大●3−18●3−29●3−14○22−5103

明大エイトFWで初めて早大に勝つ FWはセブン、エイトのどちらが有利かの論議が盛んなとき、北島忠治主将の明大はエイトFWで、セブンの早大に11−3で初勝利を納め気を吐いた。明大慶大に健闘したが11−13で惜敗し優勝を逃している。/京大早大の定期戦中止 1月7日の京大早大戦で、京大が9−6で早大を破ったが、ルール解釈の相違からレフリーの判定をめぐる論争が起き、以後昭和12年(1937)11月3日まで定期戦が中止された(『日本ラグビー史』P211-213に詳細)。
【地域】 第2回東西対抗は関東代表が17−6で関西代表を下して連勝した。
【その他】 中学は同志社中、高専は立大予科が優勝 第11回全国中学大会は同志社中(3年連続9回目)が41−0で早稲田実業を、第4回全国高専大会は立大予科(1回目)が14−5で南満州工専を破りそれぞれ優勝した。/日本大学にラグビー部が創部した。/第1回全日本OB対全日本在留外人の試合が2月24日に神宮で行われ9−9で引き分けた。
【国際】 昭和4年2月、天津駐屯フランス軍チーム(4勝0敗)が来日した。