82シーズン目
【協会】 秩父宮南側スタンド(右手インゴール裏)が完成した(『機関誌』Vol.30-1号P21-22)。【代表】 日本代表フランス・オランダ遠征(5敗) 斎藤尞監督、森重隆主将の日本代表は13−15でオランダ戦を落とした。勝てる試合で何とも残念な敗戦だった。私はフランスとの最終テストはビデオで見たが、林敏之のタックルを始め胸を打たれるプレーの連続だった。しかし、3−23の健闘が精一杯だった。
日本代表、アジア大会に7連覇(台北) 主催協会台湾の政治的理由により、開催が危ぶまれたが、台北市ラグビー協会主催として、各参加国は首都名での参加で開催にこぎつけた。東京(日本)は決勝でソウル(韓国)に、21−12で勝って7連覇を達成した。本書では日本代表として掲載した。
豪州学生代表来日(4勝1敗) 昭和56年3月21日、日本代表はテストマッチで豪州学生代表を10−9で破り一矢を報いた。その他の対戦は全明大10−31、全法大0−31、全同大10−12、九州代表7−21。
【選手権】 新日鉄釜石が3連覇 第18回日本選手権は、新日鉄釜石が同大を10−3で退けて3年連続4回目の日本一に輝いた。
【大学】 大学選手権は同大が初優勝 第17回大学選手権では同大が明大を11−6で破り感激の初優勝を遂げた。/対抗戦は慶大、リーグ戦は法大が優勝 第51回関東対抗戦は慶大が早大と引き分けたが、明大に12−6で勝ち7勝1分で23年ぶり6回目の優勝を果たした。第14回関東大学リーグ戦は法大が6勝1敗で専大と並んだが、当該校同士の対戦で勝っている法大が2年連続6回目(通算10回目)の優勝となった。/関西は同大、九州は福岡工大が優勝 同大は7戦全勝で第52回関西大学リーグ戦を5年連続30回目の優勝を飾り、黄金期を迎えていた。九州は第4回大学リーグ戦で福岡大が福岡工大を倒し、5戦全勝で優勝したが、第30回大学大会では、福岡工大が雪辱し、大学選手権出場を果たした。
【社会人】 新日鉄釜石が優勝 第33回社会人大会は新日鉄釜石が東京三洋を31−15で破り、3年連続5回目の優勝を果たし、釜石時代を着実に築いていく。/関東は三洋、関西はトヨタの5連覇、西日本は八幡 第21回関東社会人リーグは、東京三洋が21−11で横河電機に勝って2年ぶり6回目の優勝。/第23回関西社会人Aリーグは、6勝0敗でトヨタ自工が6回目の優勝を決めた。/第9回西日本社会人リーグは、新日鉄八幡が7戦全勝で2年ぶり6回目の優勝。
【地域】 三地域対抗は昭和59年度まで4シーズンの間、再び中断された。/第35回学生東西対抗は関東が25−16で関西を破り30回目の勝利を飾った。/第31回朝日招待は九州代表が24−24で同大と引き分けた。
【その他】 地区対抗は関東学大、教育系は熊本大が初優勝 第31回地区対抗大会で関東学大が45−7で広島大を破りうれしい初優勝を遂げた。春口廣監督のサクセスストーリーはここから始まる。第16回教育系大学大会は熊本大が21−10で東京学芸大を下してこれまた初優勝を遂げた。/高専は神戸市立工専、高校は伏見工がともに初優勝 第11回高専大会では神戸市立工専が28−7で都城工専に勝ち初優勝を遂げた。正月の4大会がいずれも初優勝というのは珍しい記録だ。1月7日の第60回高校大会決勝は、伏見工がWTB栗林彰の劇的決勝トライで、7−3と大工大高に逆転勝ちを収めた。泣き虫先生山口良治監督涙の日本一となり、後に映画化されるほどのドラマを生み話題を集めた。/国体は成年が群馬、少年は京都と大阪が双方優勝 第35回栃木国体は足利市で開催された。成年の部では群馬県(東京三洋)が23−10で秋田県(全秋田)に勝ち優勝した。少年の部はこの年からABが一本化され激戦となった。京都府(全京都)と大阪府(全大阪)の京阪決戦となったが、互いに譲らず10−10で引き分け双方優勝となった。
【国際】 4月に日本U23代表がNZ遠征(4勝2敗)を行った。/4月に全新日鉄がカナダ遠征(7勝3敗)/高校代表海外遠征 昭和56年4月(55年の事業が翌年度に食い込んだ)に第6回高校日本代表の豪州遠征(7勝1敗)を実施した。