昭和28年(1953)9月27日 花園ラグビー場
2トライ奪うが健闘止まり
No.21★10 ケンブリッジ大学第1回来日第6戦 | ||||||
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1953年9月27日 G:花園ラグビー場 R:P.F.クーパー KO 15:00 | ||||||
日本代表 | 11 | - | 34 | ケンブリッジ大学 | ||
1 | 斎藤 尞(大映) | 8 | 前 | 23 | 1 | デニス・シルク |
2 | 松岡 正也(明大OB) | 3 | 後 | 11 | 2 | ディスモンド・アリーズ |
3 | 夏井 末春(明大) | 3 | ダン・マッシー | |||
4 | 北島 輝夫(明大) | 1 | T | 4 | 4 | デビッド・ブランド |
5 | 梅井 良治(早大) | 1 | G | 4 | 5 | ミカエル・マッシー |
6 | 土屋 俊明(明大) | 1 | PG | 0 | 6 | イアン・ビアー |
C7 | 橋本 晋一(早大OB) | 0 | DG | 1 | C7 | ピーター・ウィラー |
8 | 原田 秀雄(早大) | 8 | ドナルド・エヴァンス | |||
9 | 大塚 満彌(同大) | 1 | T | 2 | 9 | ティム・ピァーソン |
10 | 上坂 桂造(同大) | 0 | G | 1 | 10 | ロビン・ヒッチコック |
11 | 佐々木 敏郎(明大OB) | 0 | PG | 0 | 11 | ディッキー・ドゥ |
12 | 今村 隆一(明大) | 0 | DG | 1 | 12 | フィル・デーヴィス |
13 | 渡部 昭彦(日立鉱業) | 13 | ミカエル・バシュビィ | |||
14 | 横岩 玄平(日産自動車) | 5 | 反 | 11 | 14 | ケン・ダルグリーシュ |
15 | 佐藤 英彦(早大) | 15 | ピーター・デーヴィス | |||
得点:T原田、横岩、G渡部、PG渡部 | ||||||
オ大に続いてケ大が来日した。ケ大も8戦全勝だったが、日本側も全明大、全慶大、全九州が善戦するなど、オ大戦の学習効果が見えていた。『機関誌』Vol.3-2号に、海外情報に詳しかった京大OBの宮原万寿が、観戦記にスクラム22−16、ラインアウト22−11、ルーズ[現在のラック]7−4、計51−31と、ケ大優位のボール支配率を示していて興味深い。また同氏は「スクラムでオ大がフッキングのうまさで日本ボールを取ったのに比べ、ケ大はバックローセンター[現在のNo8]が“Cambridge Now!”と声をかけてぐっと押し込んでボールを取った」と書いている。「奥村監督の期待通りスクラムの組み方を変えた全日本FWは確かに今までの五試合に勝るがんばりを見せた。(中略)全日本は前半原田、後半横岩が各1トライを報いただけでケ大の防御網はあまりにも固かった」(日刊スポ、鈴木庄一)とあるが、スクラムの組み方をどう変えたのかは不明である。