テストNo.11 ケンブリッジ大学第1回来日第8戦

昭和28年(1953)10月4日 秩父宮ラグビー場

日本代表 6-35 ケンブリッジ大学○

第2テストに完敗

No.22★11 ケンブリッジ大学第1回来日第8戦
1953年10月4日 G:秩父宮ラグビー場 R:P.F.クーパー KO 14:30
日本代表 6 35 ケンブリッジ大
1 夏井 末春(明大) 3 13 1 デニス・シルク
C2 斎藤  尞(大映) 3 22 2 ボブ・マッキュエン
3 関川 哲男(慶大OB) 3 ダン・マッシー
4 梅井 良治(早大) 1 T 3 C4 ピーター・ウィラー
5 橋本 晋一(早大OB) 0 G 2 5 ミカエル・マッシー
6 土屋 俊明(明大) 0 PG 0 6 イアン・ビアー
7 松重 正明(明大) 0 DG 0 7 ジェフリー・クレメンツ
8 原田 秀雄(早大) 8 ドナルド・エヴァンス
9 三苫  学(明大) 0 T 6 9 ティム・ピァーソン
10 麻生 純三(明大) 0 G 2 10 ロビン・ヒッチコック
11 佐々木 敏郎(明大OB) 1 PG 0 11 ディッキー・ドゥ
12 今村 隆一(明大) 0 DG 0 12 ミカエル・バシュビィ
13 広畠  登(同大) 13 ケン・ダリグリーシュ
14 横岩 玄平(日産自動車) 5 10 14 ジム・ロバーツ
15 佐藤 英彦(早大) 15 ピーター・デーヴィス
得点:T横岩、PG麻生

 日本は最終戦にも9トライを奪われて完敗したが、1トライ、1PGをあげたほかにもチャンスが何度かあり、オ大戦に比べれば内容に見るべき点があった。「前半終了間際TBパスから今村君がよく相手のラインを抜き、好フォローした麻生君から広畠君と球は渡り、横岩君が堂々とトライして、流石のケンブリッジも手のほどこす術もなかったといえる見事な攻撃が展開された」(『機関誌』Vol.3-2号、伊藤次郎)。日本は後半30分に佐藤がPGを決めて6−21と食い下がった。だが「最後の5分間にケンブリッジは愈々調子を出して全員の総攻撃を開始した。これに対する全日本はまったくゲームを投げたかたちで、タックルもなく、相手のなすがままに任せてしまったというべく、36分、37分、38分、39分と連続4トライを取られた」(同上)。日本が後半力尽きてボロボロになってしまう悪癖は、この頃から顔を出している。これがフィットネスの差であったことは明白であろう。