昭和33年(1958)3月2日 平和台競技場
NZコルツの突進防げず
No.26★15 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第3戦 | ||||||
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1958年3月2日 G:平和台競技場 R:川田大介 KO 14:30 | ||||||
日本代表 | 3 | - | 34 | NZ代表コルツ | ||
1 | 貝元(南)義明(近鉄) | 3 | 前 | 16 | C1 | ウィルソン・.ウイナレィ |
2 | 吉川 公二(日大OB) | 0 | 後 | 18 | 2 | ジョン・クライトン |
3 | 藤 晃和(明大) | 3 | アラン・ローランズ | |||
4 | 真野 克宏(トヨタ) | 0 | T | 4 | 4 | コリン・ミーズ |
5 | 片倉 胖(早大) | 0 | G | 2 | 5 | アラン・ヘイズ |
6 | 土屋 俊明(八幡) | 1 | PG | 0 | 6 | アキ・ソーパー |
C7 | 梅井 良治(早大OB) | 0 | DG | 0 | 7 | アーネスト・ピカリング |
8 | 松重 正明(三井化学) | 8 | ロジャー・グリーン | |||
9 | 今村 耕一(慶大) | 0 | T | 6 | 9 | ケビン・ブリスコー |
10 | 新井 茂裕(大済)(京都市役所) | 0 | G | 0 | 10 | ロス・ブラウン |
11 | 榎本 力雄(明大) | 0 | PG | 0 | 11 | ジョン・ワット |
12 | 寺西 博(日立鉱業) | 0 | DG | 0 | 12 | テリー・リニーン |
13 | 青井 達也(横河) | 13 | エドワード・トンプソン | |||
14 | 宮井 国夫(八幡) | 10 | 反 | 14 | 14 | リチャード・コッシー |
15 | 佐藤 英彦(八幡) | 15 | パット・ウォルシュ | |||
得点:PG新井 | ||||||
日本のマスコミは「世界最強オールブラックス来る」と書きたてたが、実際にはオールブラックスコルツ[23歳未満のオールブラックス]であった。ウィナレイ主将、ブラウン副主将、ウォルシュ、ワット、リニーン、ソーパー、ピカリング、ミーズらオールブラックスのメンバーをはじめ、その後代表に選ばれた選手が多い強力チームであった。福岡での第1テストでは、日本は新井の1PGのみでノートライに終わり、NZに10トライを奪われて完敗した。
「全日本の敗因はFWとBKの不調が原因だが、タックルが予想外に悪かったことも彼らの得点に拍車をかけたようなものだった。全日本のバックスは攻撃力は持っているが、FWからのボールがほとんど満足に渡ったことがなく、いつものようなプレーが見られなかった。TB間のパスアウトの悪さも目立ったが、攻撃には強いが防御に弱いバックスはその欠点を暴露した」(毎日、伊集院浩)。