昭和38年(1963)4月13日 ブロクトン・ポイント
テスト15連敗(2引き分け含む)を免れる
No.38★22 カナダ遠征1963第4戦 | ||||||
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1963年4月13日 G:バンクーバー R:D.マッケンジー KO 14:30 | ||||||
日本代表 | 33 | - | 6 | カナダBC州代表 | ||
1 | 川崎 和夫(立大) | 5 | 前 | 6 | C1 | バズ・ムーア |
2 | 村田 一男(明大) | 28 | 後 | 0 | 2 | トム・クリスティー |
3 | 山田 耕二(日体大) | 3 | ピーター・グランサム | |||
4 | 岡部 英二(八幡) | 1 | T | 2 | 4 | デイブ・フリッド |
5 | 草津 正武(八幡) | 1 | G | 0 | 5 | ビル・クラリッジ |
6 | 西住 弘久(八幡) | 0 | PG | 0 | 6 | ジャック・ウィッティ |
7 | 石塚 広治(同大) | 0 | DG | 0 | 7 | モーリス・プリース |
8 | 植木 史朗(八幡) | 8 | テリー・カリング | |||
9 | 三浦 修五郎(日野自動車) | 6 | T | 0 | 9 | バッキー・エリソン |
10 | 北島 治彦(八幡) | 5 | G | 0 | 10 | テッド・ハント |
11 | 宮井 国夫(八幡) | 0 | PG | 0 | 11 | ジョニー・ニュートン |
12 | 尾崎 真義(トヨタ) | 0 | DG | 0 | 12 | ブルース・マッキーチャン |
C13 | 青井 達也(横河) | 13 | バリー・スタップス | |||
14 | 伊藤 忠幸(法大) | 3 | 反 | 8 | 14 | ジョージ・プイル |
15 | 松岡 要三(八幡) | 15 | バリー・バーナム | |||
得点:T伊藤3、宮井2、北島、尾崎、G青井4、尾崎2 | ||||||
昭和36年に予定されていたカナダ遠征が諸般の事情で遅れ、昭和38年4月に、日本協会は戦後初めて日本代表をカナダに遠征させた。日本代表はバンクーバーに5−39で敗れたが、テストマッチに認定されたBC州代表戦を含めて4勝1敗の好成績であった。以下遠征の主将を務めた青井達也の感激の一文である。
「『勝った! よくやった!』、チーム全員だき合って喜ぶ。いままでの苦労や疲れはどこかへふっ飛び、うれし涙がこみあげて来た。
勝因は何といってもタックルであり、FWの健闘である。特に石塚君は負傷の身(10日のゲームでまゆの上を切り7針縫合)でありながら臆することなくよく戦ってくれた。グランドも天気にめぐまれよかったが6日のゲームに比し、当り、スタミナ、運すべてが上廻っていた。結局は根性の一語につきるのではないか。ゲームは勝たねばだめだとつくづく思った」(『機関誌』Vol.12-6号)。