テストNo.34 イングランド代表第1回来日第3戦

English 写真 機関誌
昭和46年(1971)9月28日 秩父宮ラグビー場
日本代表 3-6 イングランド代表
世界を驚かせた歴史的敗戦
No.74★34 イングランド代表第1回来日第3戦
1971年9月28日 G:秩父宮ラグビー場 R:タイラー(E) KO 19:05
日本代表 36イングランド代表
1原   進(近鉄)061フラン・コットン
2後川 光夫(リコー)302ピーター・ウイラー
3下薗 征昭(八幡)3マイク・ハンネル
4小笠原 博(近鉄)0T04ピーター・ラーター
5寺井 敏雄(八幡)0G05ロジャー・アトリー
6井澤 義明(リコー)0PG26トニー・ニアリー
7山口 良治(京都市役所)0DG0C7バッジ・ロジャース
8村田 義弘(リコー)8チャーリー・ハナフォード
9今里 良三(近鉄)0T09スプラット・ウェブスター
10藤本 忠正(早大OB)0G010ジョン・フィンラン
11坂田 好弘(近鉄)1PG011ロッド・ウェップ
12宮田 浩二(釜石)0DG012クリス・ウォードロー
13島崎 文治(東洋工業)13ジェミリー・ジャニオン
C14伊藤 忠幸(リコー)211414ピーター・グロバー
15萬谷 勝治(トヨタ)15ピーター・ロスブラ
交代【イ】ディック・カウマン⑫
得点:PG山口

 私はいまでもこの試合が日本代表のベストゲームだと思っている。それだけ世界に衝撃を与えた試合だった。まだこの頃の日本ラグビーの評価は一部の関係者を除いて「日本もラグビーをやっているんだ」程度の認識しかなかった。NZジュニアを破ったという外電も忘れられかけていた頃、イングランド代表が無名の日本との試合で、ノートライの6−3で辛勝したというニュースは本当に衝撃的であっただろう。1958年来日したNZコルツの初戦がNZのラジオで放送され、全早大に前半9−8でリードされてNZの市電が止まったと聞き、オーバーなことを言うものだと笑ったことがあったが、ラグビー王国の代表チームが、無名の日本に苦戦することなど、まったく信じられなかったのだろう。
 この日は19時5分のキックオフで行われ、秩父宮は2万3000の観客であふれかえり、協会は異例の処置としてグラウンドの中にも観客を誘導した。
 イングランドは必死でかかってきた。その猛攻をことごとく止めてついにトライを許さなかった日本の戦いぶりに心底身震いがした。
 新聞各紙も『全日本大健闘も及ばず』『惜しい!全日本3点差』『漂う興奮と充実感』『堅守ノートライ』『肉弾戦!興奮の2万3千人』『世界はもうそこだ』『全日本無念の肉弾ドラマ』『あと5ヤード宮田転倒』『生涯の思い出に』『男泣きのフィフティーン』と記者たちからも感動の思いが伝わってくる。
試合経過 前半18分ロスブラが45mのPGを決めて先制する(0−3)。30分山口38mのPG成らず。35分ロスブラ30mのPG成功(0−6)。日本は15分藤本、伊藤、25分には左オープンからTBパスで、32分にはカンペイのサインプレーが決まり萬谷、坂田、宮田と、いずれもゴール前まで攻める。トライには至らなかったが、むしろチャンスが多かった。後半も一進一退互角の攻め合いが続く。日本は31分ラックから伊藤が45m独走したがゴール寸前でタッチに押し出される。32分には相手ゴール前のスクラムから宮田がカットインで抜けて中央にトライ!と思われたが、イングランド必死のタップタックル[足首を片手で叩くタックル]で、ゴール前5mで宮田が転倒してトライを逃した。33分山口が左32mのPGを決める(3−6)。その後両チームともチャンスなく必死の攻防の末、日本は3−6で大魚を逃した。