テストNo.62 イングランド代表第2回来日第2戦

昭和54年(1979)5月13日 花園ラグビー場

日本代表 19-21 イングランド代表

手中にしかけた大金星を逃す

No.160★62 イングランド代表第2回来日第2戦
1979年5月13日 G:花園ラグビー場 R:C.ノーリング(W) KO 13:00
日本代表 19 21 イングランド代表
1 安井 俊明(神鋼) 10 9 1 コリン・スマート
2 和田  透(釜石) 9 12 2 ピーター・ウィラー
3 洞口 孝治(釜石) 3 ゲーリー・ピアス
4 畠山  剛(釜石クラブ) 1 T 1 C4 ビル・ビューモント
5 袋館 龍太郎(東芝府中) 0 G 1 5 ジョン・バトラー
6 豊山 京一(博報堂) 1 PG 1 6 ボブ・モーデル
7 石塚 武生(リコー) 1 DG 0 7 マイク・ラフター
8 小林 一郎(釜石) 8 ジョン・スコット
9 上田 昭夫(トヨタ) 1 T 1 9 クリス・ギフォード
10 松尾 雄治(釜石) 1 G 1 10 ヒュー・デービス
11 氏野 博隆(東京三洋) 1 PG 2 11 マイク・スレメン
12 南川 洋一郎(八幡) 0 DG 0 12 ポール・ダッジ
13 藤原  優(丸紅) 13 リチャード・カーダス
C14 森  重隆(釜石) 14 12 14 ピーター・スクワィアーズ
15 谷藤 尚之(釜石) 15 ダスティー・ヘアー
交代【日】工藤(中山)隆志(東芝府中)⑪
得点:T小林、森、G松尾、PG松尾2、DG松尾

イングランド終了1分前逆転ゴール』。新聞の見出しにあるこの文字が、この試合のすべてを物語っている。3−6で敗れた1971年に続いて、日本代表はまたも大きな大きな金星を逃した。No8ビル・ビューモンド主将[WR会長]率いるイングランドは、帰国後5ヵ国対抗で全勝、グランドスラムを成し遂げている。HOのピーター・ウィーラーは現在IRBの重鎮。そのチームに対して日本は“勝った!”と思わせる試合を展開してみせた。

 後半37分、13−15と2点リードされた日本がゴール前に攻め込まれていた。ボールを得たFL石塚がピンチを逃れようとして、タッチへ蹴ったボールがなんとグラウンドの中央へ。思わず私は“バカ!”と叫んでしまった。いままでこんな状況から何度逆襲されたことか。

 ボールを受けたWTBスレメンが、カウンターアタックを仕掛けて突進してきた。このときLOの袋館はオフサイドの位置にいたが、スレメンが5m走るのを待って猛然とタックルした。当時のルールでは「後方の味方がキックしてオフサイドの位置になったプレヤーは、相手が5m走ればオンサイドとなる」と決められていた。スレメンが落としたボールをタックルに向かっていた石塚が拾ってWTB森にパス[この試合では藤原がCTB森がWTBを務めた]。森は快足を飛ばしカーダス、ヘアを振りきって右中間にトライ、松尾がゴールを決めて19−15と逆転した。試合はあと3分である。“勝った!”と思っても責められまい。しかし、「勝負は下駄を履くまでわからない」。必死にボールをつないで逆転を狙うイングランド。残り1分でLO畠山がゲームを切ろうとして蹴ったが、これがノータッチ。カウンターアタックを狙ってきたSOデービスのパスを受け、WTBスクワィアーズがコーナーに飛び込みトライ(ゴール)。日本は19−21と逆転されついに涙をのんだ。

 守りきっていれば森の逆転トライは日本ラグビー史に燦然と輝く歴史的なトライになっていたはずである。温厚な横井久監督が「悔しいなんていうものじゃないよ。勝ってたよ」と歯ぎしりしていたのをいまも思い出す。

試合経過 前半6分、松尾がDGを鮮やかに決める(3−0)。イングランドがPGとトライ(ゴール)で3−9と逆転したあと、日本はNo8小林がトライ、37分に松尾がPGを決めて10−9とリードして終了。後半、松尾がPGで13−9としたあと、イングランドがトライ(ゴール)で13−15。37分森のトライ、松尾のゴールで19−15。39分スクワィアーズのトライ(ゴール)で19−21。日本代表ベスト7の上位に間違いなく入る試合だ。