テストNo.100 第11回アジア大会(香港)決勝

English 写真 機関誌
昭和63年(1988)11月19日 香港ガバメントスタジアム
日本代表 13-17 韓国代表
韓国に逆転負け
No.271★100 第11回アジア大会(香港)決勝
1988年11月19日 G:香港ガバメントスタジアム R:I.スコット(香港) KO 16:30
日本代表1317韓国代表
C1相沢 雅晴(リコー)1061具 東春
2広瀬  務(リコー)3112金 知東
3永井 雅之(日新製鋼)3崔 恒黙
4桜庭 吉彦(釜石)2T14馬 相縞
5大八木 淳史(神鋼)1G15禹 東仁
6神田 識二朗(九電)0PG06孫 在衡
7宮本 勝文(三洋電機)0DG07金 栄春
8ホポイ・タイオネ(三洋電機)C8金  鉉
9堀越 正巳(早大)0T29鄭 胤弼
10松尾 勝博(ワールド)0G010慎 昌奎
11吉田 義人(明大)1PG111趙 成哲
12平尾 誠二(神鋼)0DG012徐 天悟
13今駒 憲二(サントリー)13金 淵基
14ノフォムリ・タウモエフォラウ(三洋電機)81614柳 湊桓
15山本 俊嗣(サントリー)15趙 容徳
交代【日】今泉清(早大)⑭
得点:T吉田、今駒、G松尾、PG松尾

 第2回W杯に向けて再建を託された私にとって、絶対に負けてはいけない試合だった。
 私は退路を立つため「負けたら辞める」と選手に話した。敗れたら私のコーチングの成果が上がっていないことになる。「日本は前半12分、今駒のトライで先制。10分にも吉田がインゴールに飛び込み、10−0と引き離した。しかし、後半になるとスクラムで韓国に押されて追い上げられ、22分にトライを許し10−13と逆転された。その直後のPGで同点にしたものの終了直前にトライを奪われ敗れた。日比野監督は試合後目を赤く泣きはらしながら、『選手は良くやったと思う。RWCアジア予選でもう一度挑戦のチャンスがある。アジアの王者の座を韓国に譲ったとは認めない』と悔しさを隠さなかった」(共同)。
 翌日、私は辞意を日本協会に伝え受理された。この日が私の誕生日、日本の記念すべき100戦目のテストマッチだったことは後日に知った。忘れられない辞任試合である。