日本協会は昭和51年(1976)、初めて
香港セブンズに7人制
日本代表を派遣した。団長を務めた
日本協会理事の高島信之氏は『機関誌』Vol.25-5号P29に「(前略)
香港における
日本選手達の戦いぶりは、走るラグビーという点で好評を得たが、七人制ラグビーの戦略という点においては、団長たる筆者を筆頭に未経験未熟であった。七人制ラグビーはそれ自体、今後いろいろ研究の余地あるゲームである。それと同時に七人制ラグビーは十五人制の基礎練習の手段としても、特に若い選手たちに有効であると思う(後略)」と記している。
7人制
日本代表の強化は
香港セブンズでの活躍を目標に、強化委員が担当してきた。『機関誌』Vol.27-6号P5に、昭和52年(1977)から4シーズン
香港セブンズの監督を務めた横井久が「強化の基本と戦法」を示した。グラウンドを縦に7等分して7人のプレーヤーが各10メートルのスペースを分担すること、ボール支配とゲームテンポがとくに重要であることを強調している。これを基本理念として、
香港セブンズ参戦以来16シーズンを、横井久、森重隆、日比野弘、岡仁詩、水谷眞がバトンを継承してきた。平成6年(1993)の第1回RWCセブンズを小藪修が指揮し、その後を受けて小西義光が3シーズン指導に当たった。
平成9年(1997)、第2回RWCセブンズの年に、
日本協会は
フィジーの名手で
日本でも長くプレーしたパウロ・ナワルを、初の専任コーチとして迎えた。ナワルが平成13年(2001)第3回RWCセブンズの監督を務め、その路線を平尾誠二、加藤尋久らがサポートした。平成14年(2002)に本城和彦がセブンズ強化の責任者となり、ナワル、佐野順、髙井昭彦らコーチ陣と協力して、平成17年(2005)第4回RWCセブンズの指揮をとった。平成18年(2006)12月、カタールのドーハで行われた第15回アジア競技会セブンズで、佐野順監督の
日本代表は、山田章仁の劇的な逆転トライで
韓国を27−26で下し初優勝を遂げた。
平成20年(2008)、
日本協会は15人制、7人制ともに大活躍した、経験豊富な村田亙を専任監督に任命、さらに同じく活躍した岩渕健輔をディベロップオフィッサーに任命、セブンズのコーチ兼務で村田をサポートする体制を整えた。この体制で平成21年(2009)第5回RWCセブンズにチャレンジしたが、残念ながら予選全敗という結果に終わった。
奮起した
日本代表は、平成21年(2010)11月中国広州で行われた第16回アジア競技会セブンズで、長友泰憲の決勝トライで
香港を28−21で破り連覇を遂げた。
7の「
ワールドカップセブンズ」に記したように、
日本代表セブンズは、海外のトップレベルに対して大敗続きである。現状のままではベスト8進出は不可能、出場できても予選落ちの可能性が極めて高い。世界のトップレベルがセブンズをやや軽視していた時代に、単発的な金星を挙げたことはあるが、現在ではケニア、ポルトガル、
ウルグアイ、チリなど世界の第2ティアの国々にも敗れている。アジアで連覇した実績を糧に、ここからホップ、ステップ、ジャンプと躍進を見せてほしい。
オリンピック種目採用決定の知らせに、各国は目の色を変えて強化を推進している。
日本代表セブンズは、引き続き村田・岩渕の体制で、平成28年(2016)のブラジルオリンピックへの道を歩む。女子
日本代表を含めて、普及と強化を猛烈に推進し、リオデジャネイロで活躍してくれることを祈りたい。