概要
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【細永蔵人が蟄居】 菊池十八外城の一つ。 『菊池風土記』には「奥山城在番年々替る、警護(警固)重き所深葉山の近所」 「菊池家没落以後、菊池庶孫細永蔵人と申者蟄居・・・」 とあり、細永蔵人という菊池一族の子孫が住んでいたことが分かる。 そのあとの文を要約すると「不在中に焼討ちされ、子は原村の細永に移ったが、それ以後この城には住む者がいない」となっている。この焼討ち事件は「菊池家没落以後」とあり、伝承では城・赤星・隈部の菊池三家老の争いが原因だったようである。 豊後方面からの襲撃に備えたもののように見えるが、城の遺構はない。
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