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概要
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延元4年(1339)、室町幕府の将軍足利尊氏は、後醍醐天皇及び元弘の変以降の戦没者の追善、また国土安穏の祈祷を目的として全国に一国一寺の安国寺令を下した。肥後では青原山寿勝寺が選ばれ、寿勝安国寺と改称し、これを機に伽藍は旧地堂床から現在地に遷された。 永正6年(1509)、菊池23代政隆と武経(阿蘇惟長)が久米原で戦火を交え、敗れた政隆は安国寺に入り自刃して果てた。この兵火で伽藍は焼失し、6年後の永正12年(1515)に再建されたのが現在の堂宇である。 堂宇は南向きで、元の部分を礎石から推定すると、横幅が約5m、奥行きが約6mで、それに玄関付きである。明治20年(1887)に増築が行われ、奥に約3mを継ぎ足して仏間となし、外回りに約1mの手摺り付き濡れ縁を拡張してある。
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