概要
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延慶2年(1309)鎌倉幕府第9代執権北条貞時の招きにより、中国逝江省から来日した曹洞宗の禅僧である。東明慧日(とうみょううえにち)といい、「とうみん」ともいう。 元応年中(1319~21)全国行脚の途中、住吉天応寺に滞留して、久米村に青原山寿勝寺(せいげんざんじゅうしょうじ)を建立した。日本禅宗東明派の祖と称され、臨済宗一色の鎌倉に在って、曹洞宗旨の普及に努めた名僧である。生没年は文永9年(1272)~興国元年(1340)、鎌倉建長寺で没した。享年69歳。 像は木彫りの寄木造りと思われ縦が約90cm、幅が約60cmの坐像で、制作年は不詳。久米原の戦い(1509年)の前か後かを決め得る資料がない。
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