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目録ID b00031
氏名 菊池武光
氏名(カナ) キクチタケミツ
氏名(ローマ字)
別名 菊池氏15代/豊田十郎
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
著者
著者(カナ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
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製作者(ローマ字)
生没年 1319(元応元)年~1373(文中2)年※諸説あり
製作年終
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収録時間
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備考 画像出典:東福寺
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内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
概要 【菊池一族の全盛期を築いた武将】
 菊池12代武時(たけとき)の子。13代武重(たけしげ)、14代武士(たけひと)の弟。肥後国益城郡豊田庄(現熊本県熊本市南区城南町)の生まれ。幼い時は豊田 十郎と名乗っていた。
 1344(興国5)年、菊之城を奪還(だっかん)し、家督(かとく)を継承(けいしょう)した。その後、南朝側の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の皇子・懐良親王(かねよししんのう)を迎え、兄の武澄(たけずみ)らと協力して親王を支え、九州探題(たんだい)・一色 範氏(いっしき のりうじ)と勢力を争った。
 1359(延文4)年、日本三大合戦の一つとされる大保原(おおほばる)の戦い(筑後川の戦いとも言う)で勝利した。この戦(いくさ)は、6万騎と伝えられる北朝軍に対し4万騎で挑(いど)み勝利した。
 1348(貞和4)年、懐良親王は大宰府に征西府(せいせいふ)を置き、菊池一族の歴史は最盛期(さいせいき)を迎えた。しかし、東上計画の失敗を機に徐々に一族、南朝の勢力は衰退(すいたい)する。大宰府を奪い返され、武光はこのときのケガがもとで翌年の1373(文中2)年11月16日に亡くなったと伝わる。
 武光は14歳の頃(1333(元弘3)年)、博多で父・武時と北条英時との戦いに加わった。菊池へ帰る際にかくまってもらった博多の臨済宗(りんざいしゅう)聖福寺(しょうふくじ)の大方元恢和尚(たいほうげんかいおしょう)を後に菊池へ招き、熊耳山正観寺(ゆうじざんしょうかんじ)を建てた。あわせて懐良親王の命により菊池五山(きくちござん/東福寺・西福寺・南福寺・北福寺・大琳寺)を開いている。また、国の重要無形民俗文化財に指定されている「菊池の松囃子(まつばやし)」は、遠方からはるばる菊池に下向(げこう)した懐良親王を慰(なぐさ)めるために、武光が始めたことが起源とされている。 墓所は正観寺の境内(けいだい)にあり、大きな樟(くす)を墓木としながら、1779(安永8)年に渋江紫陽(しぶえしよう)、渋江松石(しぶえしょうせき)親子や宗伝次(そうでんじ)らによって亀趺(きふ)の墓が建てられている。また、菊池神社の主祭神の一柱(ひとはしら)としてもまつられている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 菊池市立図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分
資料種別 人物
資料群名
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL https://adeac.jp/viewitem/kikuchi-city/viewer/iiif/dc-b00031/manifest.json
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情報源(自治体史) 菊池市史 上巻
情報源(出版物・関連資料) 『中世武士選書第16巻 菊池武光』川添昭二、2013年、戎光祥出版
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY-NC(表示-非営利)
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