概要
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【恩義を返す武光】 15代菊池武光が、同臨済宗聖福寺寺の大方元恢(たいほうげんかい)を招いて興国5年(1344)に建立した寺院。12代武時が博多の鎮西探題を襲撃した際、幼少であった武光をかくまい、菊池へ無事へ送り返したのが聖福寺であった。 元恢は京都建仁寺の開山栄西の法孫、鎌倉円覚寺の秀山元中の法嗣にあたり、同寺にある「洪釣堂」の額は元恢和尚の真筆と伝えられている。 武光は寺領66町を寄進し、菊池氏全盛の頃、境内には万松院など14坊や堂宇が建ち並び、宝徳3年(1451)、20代為邦の頃には全国十刹の一つに数えられ、代々碩学の高僧を輩出した西国屈指の大寺院であった。しかし、菊池氏の衰退とともに寺運も傾いた。 元禄3年(1690)に細川綱利が寺領12石5斗を寄進し、寺の面目を保った。境内には正観公(武光)神道碑や武政、武澄らの墓がある。
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