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目録ID a00030
タイトル 熊耳山正観寺
タイトル(カナ) ユウジザンショウカンジ
タイトル(ローマ字)
その他のタイトル
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
著者
著者(カナ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
製作者(カナ)
製作者(ローマ字)
成立年月日 1344年(興国5年)
製作年終
数量
形態
サイズ
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大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
備考 日本遺産 構成文化財
言語
ISBN
ISSN
件名 寺院
件名(カナ)
件名(ローマ字)
地域 菊池
地域(カナ)
地域(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
概要 【恩義を返す武光】 15代菊池武光が、同臨済宗聖福寺寺の大方元恢(たいほうげんかい)を招いて興国5年(1344)に建立した寺院。12代武時が博多の鎮西探題を襲撃した際、幼少であった武光をかくまい、菊池へ無事へ送り返したのが聖福寺であった。 元恢は京都建仁寺の開山栄西の法孫、鎌倉円覚寺の秀山元中の法嗣にあたり、同寺にある「洪釣堂」の額は元恢和尚の真筆と伝えられている。 武光は寺領66町を寄進し、菊池氏全盛の頃、境内には万松院など14坊や堂宇が建ち並び、宝徳3年(1451)、20代為邦の頃には全国十刹の一つに数えられ、代々碩学の高僧を輩出した西国屈指の大寺院であった。しかし、菊池氏の衰退とともに寺運も傾いた。 元禄3年(1690)に細川綱利が寺領12石5斗を寄進し、寺の面目を保った。境内には正観公(武光)神道碑や武政、武澄らの墓がある。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 菊池市立図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 建造物
資料種別 学習:史跡
資料群名
資料分類(中分類) 郷土資料
資料分類(小分類) 文化財
文化財情報 市指定文化財
manifest.jsonへのURL https://adeac.jp/viewitem/kikuchi-city/viewer/iiif/dc-a00030/manifest.json
情報源(関連ページURL)
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情報源(自治体史)
情報源(出版物・関連資料) 『菊池市の文化財』
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY-NC(表示-非営利)
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
撮影者 中央図書館
撮影者(カナ) チュウオウトショカン
翻刻
字名 東正観寺
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
原資料の所在地
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