概要
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木下韡村の弟として今村に生まれる。韡村より18歳年下である。名を小太郎、真弘といい、号を梅里という。 幼いころより渋江涒灘(とんだん)に句読(くとう/漢文の読み方)の指導を受け、のち時習館教授の近藤淡泉に程朱学(ていしゅがく)を学んだ。 1846年(弘化3年)、23歳のときに菊池の読書師に任命され、のち今村に私塾「古耕精舎(ここうせいしゃ)」を開き、22年間にわたって漢学・和学を子弟にささげた。 1868年(明治元年)~1880年(13年)頃までは時習館に勤めた。 1897年(明治30年)12月、75歳で亡くなった。
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