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目録ID b00006
氏名 渋江晩香
氏名(カナ) シブエバンコウ
氏名(ローマ字)
別名 徳三郎/公雄/渋江公木
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
著者
著者(カナ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
製作者(カナ)
製作者(ローマ字)
生没年 1833年(天保4年)~1914年(大正3年)
製作年終
数量
形態
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材質
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言語
ISBN
ISSN
件名
件名(カナ)
件名(ローマ字)
地域
地域(カナ)
地域(ローマ字)
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関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
概要 幼名を徳三郎、名を公雄、のちに公木と改める。号は晩香。 渋江涒灘(しぶえとんだん)の三子。豪傑な性格だった兄公穀(こうこく)とは対照的に、例に厚く、情に深く、温和できめ細やかな人柄だったという。教育者、神職として身を尽くした。父涒灘のもとで教えを受け、父の死後は木下梅里(きのしたばいり)、その兄木下韡村(きのしたいそん)に師事。肥後藩家老の家で教育係、大津郷文芸指南役に。大津に渋江塾を開き、紫翠山房と名づける。 1873年(明治6年)、菊池で私塾「遜志堂(そんしどう)」を創建。43年間という長きにわたり、1500人もの門弟を教育した。 こうした教育に力を注ぐ一方、神職として菊池神社にも奉仕した。菊池神社創建後2代目の神官、禰宜。明治憲法作成の際、伊藤博文の内命を受けた井上毅が「寄合衆内談の事(よりあいしゅうないたんのこと)」(菊池家憲)を閲読しにきたことも。 菊池城山に彰徳碑がある
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 菊池市立図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分
資料種別 人物
資料群名
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL https://adeac.jp/viewitem/kikuchi-city/viewer/iiif/dc-b00006/manifest.json
情報源(関連ページURL) https://www.city.kikuchi.lg.jp/article/view/1314/2826.html
https://www.city.kikuchi.lg.jp/article/view/1314/2827.html
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情報源(自治体史) 菊池市史(下)
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