〔口絵〕
ごあいさつ
刊行のことば
凡例
旧国名・現都道府県名対照表
近世 上 目次
序章 近世の港区域
第一節 近世の港区域と本書のねらい
第一項 江戸の成立と港区域
対象とする時代
城下町の分節構造と都市江戸
近世港区域の特色
第二項 近世編のねらいと構成
これまでの港区域の区史
歴史学における新たな研究動向の反映
新出史資料の活用
近世遺跡の調査成果の反映
近世編の概要
第二節 近世遺跡の概要
第一項 近世遺跡調査・研究の歩み
「近世考古学」の確立へ
港区の動向
第二項 近世遺跡の概況
遺跡数の推移
遺跡の分布と立地
遺跡の種類
参考文献
第一章 都市開発と災害
第一節 初期の都市開発
第一項 江戸図から見る港区域の開発
江戸の範囲と港区域
江戸城造営と江戸の拡大
武州豊嶋郡江戸庄図
江戸図屛風
寛永江戸全図
正保江戸図
明暦江戸大絵図
万治年間江戸測量図
寛文五枚図
江戸の拡張
第二項 武家地
武家地とその類型
芝口・愛宕下・西久保
芝・三田
二本榎・高輪・白金
麻布
赤坂
青山
土佐藩屋敷の複数化
徳島藩の白金屋敷獲得過程
第三項 寺社地
寺社地とその類型
中世以前からの寺社
近世触頭寺院の成立
西久保地区の寺社
三田寺町
その他の寺町
寛文八年の寺社規制
第四項 町人地
町人地とその類型
東海道沿いの町
外堀沿いの町
西久保通・三田通沿いの町
赤坂の町
白金台町の成立
寺社門前町屋の起立
第二節 考古学で見る町づくり
第一項 低地と海浜部の造成
日比谷入江の姿
海浜に並ぶ屋敷の造成
第二項 高台の造成
高台を削って谷を埋める
造成の工法
土取り
第三項 上下水道の整備と町づくり
江戸の上水道
港区内の上水道
発掘調査の事例
江戸の下水道
第三節 人為的自然と災害
第一項 港区域と火事・地震
人為的自然を舞台とした近世社会
江戸の大災害
大火
恒常的な火災
地震・噴火
第二項 港区域と風水害・疫病
風水害
疫病
1-3 コラムA 遺跡に残る災害の痕跡
火災の痕跡
地震の痕跡
1-3 コラムB 宝永の富士噴火と火山灰について
江戸の町と火山災害
宝永四年(一七〇七)一二月に発生した富士山の宝永噴火
火山灰の検出状況
六本木の湖雲寺跡遺跡で検出された富士宝永テフラ(宝永火山灰)
第二章 武家地
第一節 大名屋敷
第一項 大名屋敷の性格と構造
大名屋敷の種別
大名屋敷の空間構成
大名屋敷の内と外
港区域の大名屋敷
第二項 紀州藩徳川家赤坂中屋敷
広大な中屋敷=居屋敷
役所施設と藩士らの住居
勤番藩士酒井伴四郎
第三項 長州藩毛利家麻布龍土下屋敷
目黒行人坂の大火
下屋敷の作事
江戸詰家臣らの生活
屋敷の内と外
第四項 八戸藩南部家上屋敷・中屋敷・下屋敷
上屋敷の変遷と構造
他屋敷の獲得
勤番武士の生活
第五項 久留米藩有馬家芝上屋敷
火の見櫓と水天宮
勤番藩士の絵巻
屋敷内の配置
激しい藩内抗争
第六項 浜松藩水野家三田下(中)屋敷
老中在職時の江戸屋敷
忠邦の処分と上屋敷の没収
第七項 高松藩松平家目黒下屋敷
江戸縁辺部の下屋敷
下屋敷の用途と性格
第八項 大名屋敷の終焉
参勤交代の緩和
長州藩江戸屋敷没収事件
薩摩藩邸焼討事件
2-1 コラム 愛宕山から見た武家屋敷の景観
第二節 旗本・御家人屋敷
第一項 旗本・御家人とは
旗本・御家人の定義と概要
旗本・御家人の家禄
旗本・御家人の勤役
第二項 旗本・御家人屋敷の分布状況
江戸城下の旗本・御家人屋敷
港区域の旗本屋敷
港区域の御家人屋敷
第三項 旗本・御家人屋敷の種別と実態
居屋敷
下屋敷
組屋敷
拝領町屋敷など
高坪・格坪
屋敷地の拝領
相対替
大谷木藤左衛門の相対替記録から
拝領屋敷の売買
居住の実態
「地守附置」の実相
第四項 旗本・御家人屋敷の内部構造と利用
屋敷絵図から見た構造
施設
居住者
第三節 愛宕下地域の旗本・御家人屋敷地
第一項 愛宕下地域内の調査と地区区分
愛宕下地域と旗本屋敷
再開発に伴う発掘調査
第二項 〔芝口〕の旗本・御家人屋敷地
〔芝口〕の範囲とその絵図
屋敷地と所持者の変遷
交代寄合本堂家屋敷
第三項 〔愛宕下〕の旗本・御家人屋敷地
〔愛宕下〕の範囲とその絵図
林伊太郎屋敷
第四項 〔西久保〕の旗本・御家人屋敷地
〔西久保〕の範囲とその絵図
第五項 愛宕下地域の旗本屋敷地の実態
〔芝口〕〔愛宕下〕〔西久保〕に見た旗本屋敷地
旗本屋敷地と利用の状況
居住者の実態
第四節 赤坂の武家地について
第一項 大名屋敷
赤坂地域の武家屋敷
黒田家中屋敷
浅野家中屋敷
溜池と武家屋敷
第二項 旗本屋敷
赤坂の旗本
森山孝盛
勝海舟
第三項 御家人屋敷
大縄拝領地
伊賀者給地
第五節 発掘された武家屋敷跡
第一項 発掘された大名屋敷跡
港区の武家屋敷跡遺跡
大名屋敷跡遺跡の概況
海浜部に造営された大名屋敷・汐留遺跡
台地に造営された大名屋敷・長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡
大名屋敷跡遺跡の発掘調査からわかること
第二項 発掘された旗本・御家人屋敷
港区内の旗本・御家人屋敷
下級旗本の居住空間・港区No.91遺跡
上級旗本の居住空間・交代寄合本堂家屋敷跡
上級旗本の庭園空間・旗本花房家屋敷跡
第三章 寺社地
第一節 近世の宗教
港区域の寺社の特色
第一項 宗教文化の成立
寺社の創建
寺社の組織
多様な宗教施設・宗教者
宗教文化の特色
第二項 幕府の宗教政策
支配秩序への宗教勢力の編入
寛文印知
諸宗寺院法度と諸社禰宜神主法度
キリシタンの禁制
不受不施派の禁制
寺社行政の展開
第二節 寺院の組織と制度
第一項 寺院の概況
寺院の建立・移転
幕府の寺地統制
統制下での瑞聖寺の建立
幕府の軌道修正
宗派・地区別寺院数
第二項 本末制度
教団の仕組み
本末制度の概要
麻布善福寺の本末関係
第三項 寺檀制度
寺檀関係の形態と性格
梅窓院の檀家の推移
善福寺の檀家の葬式・法事
寺請証文
第四項 触頭制度
触頭制度の概要と港区域の触頭寺院
浄土宗鎮西派の増上寺
新義真言宗の江戸四箇寺
臨済宗五山派の金地院
曹洞宗の関三刹と江戸三箇寺
日蓮宗本門寺派の承教寺・朗惺寺
寺院組合と講
第五項 教学機関と教義・信仰
教学機関の整備
諸宗の教義・信仰
論争の展開
第六項 寺院・僧侶の格式
格式の概要と増上寺・知恩院の事例
新義真言宗の寺院・僧侶の格式
宗派間の共通性と差異
3-2 コラム 大名と大名家臣の菩提寺
大名の江戸菩提寺
真田家と盛徳寺
大名家臣の菩提寺
第三節 増上寺
増上寺
はじめに-江戸時代の増上寺を現代の町なみから再発見する
第一項 創建と江戸前期までに成立した伽藍や南の霊廟領域について
増上寺創建の地「貝塚」
徳川家康が源誉存応(普光観智国師)に帰依
芝へ移転-江戸の郊外へ
東向き伽藍配置と東海道に結ばれる大門通り
徳川氏菩提のために造営が始まる
南廟の成立と山内の充実
寛永期の境内変化
将軍埋葬の行方
第二項 江戸中・後期-北の霊廟成立と増上寺景観の成熟
将軍家宣の葬列を迎えた大門
文昭院霊廟造営と石垣土手普請
拡がる大門門前通り-江戸の玄関口として
七代将軍も芝へ-北廟の完成
合祀される将軍霊廟
護国殿と経蔵
増上寺中枢としての本坊(方丈)
第三項 境内地理と関係付属地
山内の鎮守や小堂
山内の地名
境内の門
門前地など境内に接する付属地
崇源院荼毘所と増上寺大崎下屋敷
麻布一本松隠居屋敷
第四項 山内寺院が伝える江戸の記憶
「子院」と「塔頭」の起源
幕末の増上寺山内
坊中(月行事:あ~す、中臈:セ~ホ)
別当(A~K:霊廟の別当)
三蓮社(e~g)
別院(1~8)
学寮の建造物
第四節 神社の社会的展開
第一項 港区域の神社
江戸の神社世界
港区域内の神社
第二項 赤坂氷川社・麻布氷川社
江戸の氷川社
赤坂氷川社の移転
他の氷川明神
第三項 芝神明宮と愛宕権現社
江戸屈指の盛り場・芝神明宮
眺望と信仰の名所・愛宕権現社
第四項 修験
町なかの宗教者
本山派修験大乗院
当山派修験鳳閣寺
第五項 稲荷
江戸の稲荷
単体および寺社境内の稲荷社
町方の稲荷社
第五節 港区の近世寺社建築
第一項 時代的な変遷について
多彩な時代様式
江戸時代前期の豪華さ
江戸時代中期の抑制的意匠
庶民化が進展する江戸時代後期
第二項 武家の庇護を受けた実相寺
第三項 庶民信仰を伝える明王院本堂の天井画
第四項 金刀比羅宮の銅鳥居に見る武家と町人
第六節 発掘された寺院跡
第一項 考古学でみる寺院境内
寺院跡遺跡の概況
考古学で見る寺院境内の空間
第二項 増上寺徳川将軍家墓所の世界
増上寺徳川将軍家墓所の調査
南廟の調査
北廟の調査
その他の墓所
第三項 名のある人びとの墓・名もなき人びとの墓
名のある人びとの墓
名もなき人びとの墓
3-6 コラム 港区域の近世人骨研究
はじめに
近世人骨研究の特色
近世人骨研究に港区が果たした役割
湖雲寺跡遺跡の事例
図版一覧
協力者・協力機関(掲載史料所蔵機関および協力機関)
監修者・執筆者一覧
関係者一覧(令和三年五月現在)
〔奥付〕