
守谷 博士 への道 ~もりやマスタープログラム~


それ

守谷市の木は松だよ。いつも緑色の松の木はね、葉っぱが落ちても、2本の葉がギュッとくっついているんだ。これって、人と人が仲良しでいるみたいに、みんなが幸せに暮らすために大切なことなんだよ。街がどんどん良くなっていくサインみたいだね。
守谷市の花は
守谷市の鳥は

カワウソだよ
昔々、守谷には「守谷沼」っていう大きな池があったんだ。そこにはお水がいっぱいあって、カワウソっていう動物が住んでいたんだって。
カワウソはね、イタチの仲間で、足には水かきがあるから、お魚を
その沼の近くには、悪いものが来ないようにと、昔のえらい人、


昔、

今から150年くらい前の明治8年(1875年)5月までは、守谷は千葉県に属していたんだ。でも、やがて茨城県の仲間になったんだよ。
それから少しして、「守谷町」という「町」になったんだ。
今から60年くらい前の昭和時代には、守谷町と、周りにあった「
そして、今から20年くらい前の平成時代に、ついに「守谷町」は「守谷市」という「市」になったんだ!こうして、今の「守谷市」が生まれたんだよ。
関連資料
ごあいさつ(守谷城と下総相馬氏)
これは、道のわきに、だいたい4kmごとに土をこんもりと盛って、その上にエノキや松の木を植えたものなんだ。まるで小さな山みたいだね。
この一里塚がある道は、江戸時代には「
今では、こんな一里塚はほとんど残っていないから、市が

これは、
この
ほかのお祭りとはちょっと違って、守谷のお祭りでは、選ばれた24人のお兄さんたちが、途中で交代しないで、最初から最後までお
それから、大きくて長い
平成27年(2015年)12月24日に、
エノキ

このエノキは、
枝がバランスよく広がっていて、とってもきれいな形をしている、かっこいい木だよ!
ふるさと
1889年(明治22年)4月1日に
「心のふるさと」っていう歌はね、みんなから募集した言葉(詞)を、テレビで有名な「
もう1つの「ふるさと

大正7・8年頃、
すると、地面の下から、とっても大きな石でできた箱が見つかったんだ!まるで、石でできた昔のお墓みたいだね。
その石の箱の中には、2人分の人の骨と、古くなって赤くなった鉄の
スダジイ

だいたい250年も生きている、とっても長生きな木なんだよ! 大きな枝をあちこちに広げていて、自然のままの、とっても
スダジイっていう木は、本当はもっとあったかいところに生える木なんだけど、ここにあるスダジイは、あったかいところから一番北の方にあるのに、元気いっぱいに育っているんだよ。すごいね!

この
関連資料
守谷市文化財イラストマップ
1,000年以上も前の平安時代に、
このお寺には、


昭和50年(1975年)の夏、高野の
そしたら女の子が、「あれ?石に顔が映ってる!」って言ったんだ。それから、近所の人たちが次々にその石を見に来たんだけど、ある人は「髪の長い女の人の顔に見える!」って言って、別のある人は「おじいさんの顔だ!」って言ったんだ。みんな、違う顔に見えたんだね。
そうやって、どんどん噂が広がって、7月になると、新聞や雑誌、テレビのニュースでも毎日、「高野のおばけ石」として紹介されたんだ!だから、たくさんの人が、その石を見に
でもね、今はもう、その石に顔は見えなくなっちゃったんだって。

この像は、
それが、ひょんなことから
関連資料
守谷市文化財イラストマップがまんの

「がまんして
今はないけど、
あわんとり

「
このお祭りでは、子どもたちが近所の家を回って、お正月が終わったしめ
そしたら、集めたものに大きな火をつけて燃やすんだよ!
そして、長い竹の先に、お
毎年1月中に、それぞれの

シンボルマークの
「守谷らしさ・
関連資料
守谷中央図書館 ホームページもりや

「もりや学びの里」は、
ここは、みんながいろんなことを学んだり、楽しんだりできる場所になったんだよ。
関連資料
もりや学びの里(守谷市ホームページ)
作者の
昭和54年(1979年)に守谷町(当時)
関連資料
守谷市文化財イラストマップ
関連資料
守谷城と下総相馬氏
50か
守谷市内では、50か所の
この土器や石器などは、
関連資料
守谷市遺跡情報システム
守谷市中央二丁目に、東京にある有名な
これは、昔、守谷市に住んでいた10人ちょっとの人たちが、
今から40年以上も前の昭和52年(1977年)の11月3日に、みんなでお祝いして、このお
関連資料
守谷地区(『守谷わがふるさと』)
「
関連資料
守谷野鳥のみち(守谷市ホームページ)

明治初期に

守谷市は、水量が
関連資料
守谷市の人口・地理(守谷市ホームページ)
