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知の広場
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越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は、天文22年(1553)から永禄7年(1564)までの12年間、長野盆地を中心とする地域で5回にわたって対陣、激突したとされています。 博物館の建つ八幡原は、永禄4年(1561)の川中島合戦の激戦地とされ、今も首塚などが残っています。 このコーナーでは、川中島合戦のあらすじを紹介したビデオ、当時の文書や後世の甲陽軍鑑などを展示しています。
武田信玄が自ら書いた書状として重要な資料である。鬼無里筋で不穏な動きがあることを警戒する資料である。川中島の戦いが始まって間もない頃のもの。
武田信玄の肖像画である。右手に軍配、左手に数珠を持つ。兜は白毛で床机に座るという典型的な姿をしている。「盛重」という落款があるが作者は不明。
武田信玄を中心に、あわせて24人の武将を描く。武将のうち、小幡上総介憲重が背を向けているのは本図の特徴といえる。当館蔵の他の二十四将図(1995C00022)と違い、縦長に人物が配置されている。
上杉謙信の画像である。永禄年間(1558~1570)に謙信が関東に出陣した際、上野国厩橋(前橋)で描かせたものを原図とする。僧帽に法衣をまとっている。
上杉謙信を取り巻く武将たちが描かれている。箱書から、五月節供に飾られたものと思われる。このなかには、実在しない武将も描かれている。軸には、「上杉家十八騎石川幸得筆」とあり、石川幸得の作品とわかる。
彩色を施した陣取図である。八幡原を中心にして、そこでの陣の配置が描かれている。また、「諸角ハカ」の記載があるなど、古戦場の史跡も記されている。
芳虎作。「天文二十三年八月十八日武田上杉川中島大合戦図」の題をもつ。武田方の本陣に太刀を振りかざして上杉謙信が立ち向かう様子。遠くには山本勘助も見える。