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知の広場
お知らせ
幕藩体制が安定するにつれ、街道や道路網が整備され、人や物資の動きが盛んになりました。長野市域には北国街道、北国脇街道、戸隠街道、大町街道などの道が通っていました。街道の要所には、松代藩によって口留番所と呼ばれる独自の関所が設けられていました。 また市内を流れる千曲川、犀川の大河川には、藩が管理する公の渡しと村々で管理する野渡しがありました。
名古屋書林 美濃屋伊六の出版。嘉永2年(1849)に刊行された。五冊本である。
北国下街道の絵図。箱書には「加州従金沢武州至江戸下道中絵図」とあり、箱裏書には「嘉永五壬子歳季春/命加藤恵廸令模写」とある。江戸時代の終わりころに写された図であることがわかる。奥書から、この原図は宝永5年(1708)に北島氏が往来の様子について見聞した山川海陸の風景や景勝物を1里を5寸に縮小した図をもとにしたことがわかる。