近代から現代へ

 明治から昭和初期、信州は全国に知られた製糸・養蚕王国でした。長野市松代町に明治7年(1874)に開業した六工社には、官営富岡製糸場で最新のフランス式の製糸技術を学んだ和田英が郷里に帰って工女の指導にあたりました。和田英は晩年、自分の経験を、回想録「富岡日記」にまとめました。
 太平洋戦争末期の昭和19年(1944)、大本営の松代移転が決まり、地元住民や強制連行された朝鮮の人々が地下壕作りの強制労働にあたったともされています。作業途中で終戦を迎えた舞鶴山の地下壕には、戦後東洋一のひずみ地震計などが設置されて地震観測所として利用されています。

落下増槽

軍用機用の補助用・木製燃料タンクで、製作途中のもの。太平洋戦争中に長野市内でつくられた。旧海軍の艦上偵察機「彩雲」胴体に取り付けられたものとみられる。

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