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知の広場
お知らせ
3世紀末、近畿地方や瀬戸内海沿岸地方に盛土で造られた古墳が出現しました。やがて大和政権の確立とともに前方後円墳が地方へ波及していきました。 千曲川流域に展開した独自の地域圏は次第に政治的なまとまりを示すようになり、4世紀後半には長野盆地の高い生産力とその支配を背景にこの地域の首長は、県下でいち早く大和政権の影響を受けて、前方後円墳の墓制を取り入れました。「科野」は8世紀初めまで使われていた古い国名です。
大室古墳群は長野盆地南東の山岳地帯、長野市松代町大室を中心とした同町東寺尾、柴、若穂川田、にわたって位置する。
昭和13年に東横田の観音寺で発見されたもので、横田神社の社宝となっている。滑石製の一号勾玉は長さ8㎝、灰黒色に白い斑点(はんてん)のある石で、「子持ち」の名の由来である突起部が11個付く。