那須町の絵葉書コレクション
那須温泉は今から約1400年前の舒明2年(630年) 舒明天皇御宇狩野三郎行広が白鹿を追って発見したといわれ、日本で32番目、県内では1番最初に発見された温泉です。那須温泉のあゆみは那須町の歴史でもあります。「那須温泉へ通じる道を地元の人は湯道といって語り継いできました。」歴史ある温泉の移り変わりを絵葉書や写真でたどることで、温泉地・保養地としての那須の魅力を再発見するとともに、那須の美しい自然と歴史・文化に触れてみてください。
那須温泉郷
那須温泉郷は、舒明二年(約1400年前)、狩野三郎行広の鹿の湯発見に始まり、明治以前に板室、三斗小屋、大丸、北、弁天、高雄と次々に温泉が発見され、これを那須七湯といい、すでに江戸時代には世に知られていました。
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殺生石(せっしょうせき)
殺生石は、那須岳の麓那須温泉神社本殿より北に200メートル湯本温泉街湯川に沿った駐車場の奥、硫黄のにおいがただよう荒涼とした所にある。昔から「白面金毛九尾の狐」にまつわる伝説上の名所旧跡であり、全国的に知られている。
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奥の細道
元禄2(1689)年、松尾芭蕉が奥の細道の途上で那須町に立ち寄り、湯本の温泉神社と殺生石、芦野の遊行柳でそれぞれ句を詠んでいる。昔から歌枕にもなる名所であった遊行柳は、芭蕉が『田一枚植えて立ち去る柳かな』と詠み、一躍有名になった。
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那須岳
那須岳は、栃木県の最北端に位置する那須連山の総称で、主峰は茶臼岳(1,915m)である。茶臼岳以外にも三本槍岳・朝日岳・南月山などが連なる。江戸時代後期から昭和40年代までは黒羽藩や那須硫黄鉱山株式会社などにより硫黄やミョウバンなどの採掘も行われた。
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寺・神社
那須温泉神社は延喜式神名帳にもその名が確認される神社で、『平家物語』中の那須与一が屋島の戦いで扇の的を射る際、「那須温泉大明神」と唱えたことはよく知られている。ほかにも、那須町には那須氏の一族である芦野氏・伊王野氏に関する寺社があり、国指定文化財「金銅阿弥陀如来立像」などの文化財が存在する。
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レジャー
那須温泉に関わりのあるゴルフ場としては、那須ゴルフ倶楽部がある。昭和11年開場。那須のスキーは、大正14年(1925)のシーズンに開拓された。明治後半頃、温泉街の娯楽施設として公園が整備された。湖月園(こげつえん)・占勝園(せんしょうえん)・東公園(とうこうえん)があったが、現在はいずれも閉園となっている。那須町教育委員会『那須温泉史』(2005)より転載
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その他
那須温泉に至るまでの那須の風景や晩翠橋・那珂川などの自然、現在は廃校となった寄居小学校の新築落成の様子や芦野地区の名所を写した絵葉書など、すこし今とは違う那須町の景色・雰囲気を見ることや捉えることが出来る。
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