大網白里市の郷土芸能

永田獅子旭連 引き出し

記録映像

『第12回大網白里市郷土芸能発表会』
出演:永田獅子旭連
(平成26年11月3日 大網白里市保健文化センター)

引き出し

 旭連の獅子舞は、伊勢の太神楽の系統で慶長年間に隣村の萱場大村谷から伝わったと言われ、地域の行事には欠かせない郷土芸能として親しまれています。
以前は旧暦の1月11日、10月19日の春秋2回、矢口神社に獅子舞が奉納されていましたが、現在は1月の第2日曜日、10月の第3日曜日に変更されています。永田獅子旭連は、昭和55年4月に町の無形文化財に指定されました。(当時)

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九十九里地曳大漁節 白里保存会

出演:白里保存会(令和2年1月)

九十九里地曳大漁節

 白里海岸を含める九十九里浜は、江戸時代を中心に鰯の地曳網漁が発達し、浜はたいへんな賑わいを見せていました。その様子を伝えるのが「九十九里地曳大漁節」です。主に南今泉地区に伝承される大漁節は、わかり易いかけ声と単調なリズムが特徴な労作歌です。踊りは海に船を出し、網を曳き、魚を網から運ぶ様子を手拭いで見立てたのが特徴です。
 平成27年まで九十九里地曳大漁節は南今泉保存会が継承していましたが、四天木保存会と合併して白里保存会として継承しています。

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宮谷坂 福田保存会

出演:福田保存会(令和2年1月)

宮谷坂

 宮谷(みやざく)には本國寺という日蓮宗の寺院があり、江戸時代の初め二代将軍秀忠の許可を受け、檀林を開校、学問の場として各地から学僧が集まり、最盛期には800名を超すほど規模の大きな檀林で、「宮谷檀林」と呼ばれていました。「宮谷坂」は座興唄として県内各地に広まり、唄い、踊られました。
 一説には、大網宿のお茶屋にいた女中の「おさん」という美人がおり、檀林近くの多くの学僧に慕われていたが、修行を終え故郷へ帰る僧が「おさん」に未練の残して唄ったのがこの「宮谷坂」だと言われています。
 「宮谷坂」の読みは「みやざくざか」としていますが、歌詞の中では「みやざくさが」と唄われています。

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ぼさま踊り 白里保存会

出演:白里保存会(令和2年1月)

ぼさま踊り

 原型は麦打ちの動作で、殻竿で麦などの実を打ち落とす農作業の動きを基本とした労作歌で、殻棒を振りかざし数人が輪になって廻りながら麦をたたく動作を応用した盆踊りです。
 南今泉や四天木では、月遅れの盆が近づいてくると、地元の若者をはじめ出稼ぎや奉公先から帰ってきた若い衆が砂浜に集まり、仲間同士5、6人が輪を作り「ぼさま」を唄いながら踊り始めます。やがて10数人を中心とした踊りの輪が、砂浜一面に繰り広げられました。
 平成27年までぼさま踊りは四天木保存会が継承していましたが、南今泉保存会と合併して白里保存会として継承しています。

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のほほん節 のほほん節保存会

出演:のほほん節保存会(令和2年1月)

のほほん節

 のほほん節は、昭和19年日本放送協会が収集した「日本民謡大観」にも掲載されていた民謡で、当地では希少な念仏踊りに分類されます。戦前から親しまれていました。平成26年に楽譜と音源のレコードから保存会が復活させ、新たに踊りを作りました。
 歌詞の中には大網地区の街中通りの様子が唄われ、当時の賑わいが良く表現されています。

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朝の出がけ 白里保存会

出演:白里保存会(令和2年1月)

朝の出がけ

 昭和の初期にかけて千葉県下で唄われ一世を風靡し、老若男女が酒席で唄われました。由来について諸説あるようですが、商人等が相馬の馬子唄を九十九里地域に持ち帰り、広まった説が有力な説と言われています。
 当地では、「朝の出がけ」「朝の出掛け」「朝のでかけ」など様々に表記されています。平成27年まで朝の出がけは南今泉保存会が継承していましたが、四天木保存会と合併して白里保存会として継承しています。

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大網音頭 山辺保存会

出演:山辺保存会(令和2年1月)

大網音頭

 大網音頭は、合併する前の大網・山辺・瑞穂の3地区で大網町と呼ばれていた頃、大網の歌踊りとして運動会やお盆の時に唄い踊られたものです。
 当時は、婦人会の活動が盛んであり、踊りは今井清子氏が中心となり婦人会の会員に教えていたそうで、常時30名くらいが集まり練習していました。
 当時の振り付けを知っている人はいませんが、発見された楽譜を頼りに、今井氏の娘である菊川流菊川紀代吉氏の振り付けによって、「大網音頭」が復活しました。

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