解説文(かいせつぶん)
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安土城下(あづちじょうか)にたてられましたが、八幡山城(はちまんやまじょう)の城下町(じょうかまち)の建設(けんせつ)とともに現在地(げんざいち)にうつったといわれています。朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が八幡(はちまん)を通(とお)ったときには、書院(しょいん)で正使(せいし)・副使(ふくし)が昼食(ちゅうしょく)のきゅうけいをとったほか、本堂(ほんどう)などが通信使(つうしんし)の行列(ぎょうれつ)の人びとの昼食場所(ちゅうしょくばしょ)として使(つか)われました。三使(さんし)のうちの従事官(じゅうじかん)である李邦彦(りほうげん)から七言絶句(しちごんぜっく)の詩(し)【ユネスコ世界記憶遺産(せかいきおくいさん)】がおくられています。
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