解題・説明
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浄土真宗本願寺派の寺院で、安土城下で創建されましたが、八幡山城の城下町建設にとともに現在地に移ったとされています。本堂・鐘楼・表門・裏門は県指定文化財。 朝鮮通信使来幡の際には、書院で正使・副使が昼食休憩をとったほか、対面所・本堂などが通信使一行の昼食休憩場所に提供されました。第8次通信使来訪(正徳元年・1711)の帰国時、三使のうちの従事官である李邦彦から、七言絶句の詩(市指定文化財)が贈られています。 また通信使の道中記録のひとつ『奉使日本時聞見録』には、八幡別院に関する一文が次のように記されています。「昼食の館に入っていったが、すなわち八幡山の金台寺である。壮麗ではないが、またおのずと瀟洒であり配置されたすべての諸具が森山(守山)より優れていた。」
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