「朝鮮通信使」とは、朝鮮国王が日本の将軍に対して派遣した使節団のことで、永和元年(1375)に、室町幕府第3代将軍足利義満が派遣した日本国王使に対し、当時朝鮮半島を支配していた高麗王朝が返礼のため「信(よしみ)を通わす使者」を派遣したのが最初です。
羽柴(のちの豊臣)秀次は、天正13年(1585)に豊臣秀吉から近江国43万石を拝領し、八幡山に城を築いて、本能寺の変により主を失った安土城下町の人びとの移転先ともなる城下町を建設します。
八幡山城下町は、南北は12本の通り、東西は4から6本の筋の通る碁盤目状の区画に整備され、南北は大手道につながる本町通り、東西は下海道と呼ばれ、小船木から現在の八幡商業高校前あたりを通っていた下街道を、城下を通るよう付け替えた道を基準としました。この道は将軍家が上洛する際通行する道として使用されたことから、「京街道」「御所街道」「上洛街道」とも言われましたが、朝鮮通信使が通行することから「朝鮮人街道」とも呼ばれました。
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1 願成就寺 | 2 本願寺八幡別院 | 3 正栄寺 | |
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4 背割りの溝 | |||
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5 秀次館跡 | 6 旧伴家住宅 | 7 近江八幡市立資料館 | |
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8 新町通り | 9 旧西川家住宅 | 10 西川庄六邸 | 11 八幡商業高等学校 |
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12 西川甚五郎邸 | 13 正福寺 | 14 日牟礼八幡宮 | |
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15 旧八幡郵便局 | 16 永原町通り | 17 旧野間清六邸・ ボーダレスアートミュージアムNO-MA |
18 慈恩寺町の道標 |
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19 ヴォーリズ記念館 | 20 音羽町の道標と常夜燈 | ||
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