【堺の茶壺師】堺春慶(一に舜慶に作る)は茶壺師として數代連綿たる舊家に生れ、後尾張の瀨戸に出でて茶器を製し、又伊勢に轉じた。【子孫】其子孫は茶人千利休の頃まで、堺に居住したといはれて居る。(堺鑑下)或はいふ、【春慶の異稱】瀨戸の第一世藤四郞景正は別號を春慶と稱し、支那より歸朝の後、茶褐色に飛點の黃色釉を施した一種の茶壺を製し、之を飛春慶と呼んだと。又第二世藤四郞も春慶と號して、茶壺のみを製した。其後正信春慶、堺春慶、吉野春慶、伊勢春慶等があり、倶に皆春慶の陶法に倣ふて、各地で製作されたものであると云はれてゐる。(工藝志料卷三、本朝陶器攷證四)