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第一編 人物誌
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第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(一一)三好存保
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三好存保
は
義賢
の二男、長慶の弟で、孫六郞と稱した。(阿州將裔記、三好別記)十河一存の養子となり、【存保と堺】長慶の命に從ふて堺に居り、河、泉
兩國
を治めた。天正六年正月阿波勝瑞城に治し、同十年八月長曾我部元親と戰ひ、利あらずして讃岐に遁れた。(三好家成立記)後
豐臣秀吉
に仕ヘ、(三好別記)十四年十二月十二日豐後國年滿に於て戰死した。享年三十五。法號を眞光院殿
義賢
實存禪定門といふ。(本能寺日仁編三好略記)