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第一編 人物誌
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第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(二〇)日延
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日延
は
大聖院
と號した。
泉南
佐野の人。幼年佛門に入り、京都に出でゝ經典を極め、終に妙覺寺第九世の貫主となつた。(
經王寺
緣起)又紀伊多田鄕[現和歌山縣海草郡龜川村多田]妙臺寺を再興した。(本化別頭佛祖統記)永享元年堺南庄に來り、百箇日間説法弘通の功を遂げ、堺の市民これに歸依するもの多く、受戒の弟子頗る多かつた。是に於て一宇を建立し、【
經王寺
の創設】
本覺山
經王寺
と名づけた。(
經王寺
緣起)文安元年九月八日示寂した。(本化別頭佛祖統記)