ビューア該当ページ

(三七)燈譽

66 ~ 67 / 897ページ
 【旭蓮社第十四世】燈譽良然は旭蓮社第十四世の住職である。大德の聞こえ高く、老若男女其道譽に歸せざるものなく、人の喜捨するものがあると、盡く之を以て莊嚴の佛具に代へ、或は佛像を造り、或は經卷を調へ、剩餘あれば卽ち之を以て貧困の者を賑恤した。故に寺門に寄進し、財を寄附せんと欲する者は、招かずして到つた。當寺在住の間、【諸寺再興】泉南佐野の上善寺、同貝塚の上善寺、同春木村の西福寺を創建し、其他燈譽によつて再興せられ、又は修復せられた寺院頗る多かつた。燈譽亦歌道を好み、入洛して、堂上公卿に交り、吟詠を以て自ら娯みとした。【和歌詠進】正親町天皇の天文二十一年六月自詠の三社法樂和歌三百首及び彌陀四十八願の和歌兩卷を叡覽に供せんとした。然るに公家の間に、歌道の偏執から其奏請を拒む者があつたが、遂に乙夜の覽に入り、兩卷共に勅點を附せられ、宸筆の御製を下賜せられた。(旭蓮社緣起)三社法樂和歌は、住吉百首の中勅點二十七首、玉津島百首の中御點二十五首、聖廟百首の中同二十七首あり、彌陀四十八願和歌の中御點二十二首であつた。(勅點三社法樂和歌一卷、勅點彌陀四十八願和歌一卷、同勅點の添狀)自筆の勅點三社法樂和歌一卷及び同四十八願和歌一卷は、現に旭蓮社の什寶となつて居る。弘治二年二月晦日、享年八十五歳を以て遷化した。(泉南郡佐野町上善寺位牌)