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(四四)日詮

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 日詮山光院と號した。壯年にして南都に遊學し、叡山に登り、唯識教觀の奧旨を究めた。後堺に來り、常光院日諦佛心院日珖と相約して偕に斷金の交を結び、互に主伴と爲つて、輪次に天台の教學を講習した。時に三師相和し、相敬重すること互に世尊を視るが如く、【三光勝會】之を三光勝會と稱した。始め三井寺在住の際、衆の懇望によつて四教儀詳解を作り、自他之を珍とした。天正七年七月二十五日示寂した。著作に四教儀詳解がある。(本化別頭佛祖統記)