ビューア該当ページ
目次
/
第一編 人物誌
/
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(四四)日詮
78 ~ 78 / 897ページ
日詮
は
山光院
と號した。壯年にして南都に遊學し、叡山に登り、唯識教觀の奧旨を究めた。後堺に來り、
常光院
日諦
、
佛心院
日珖
と相約して偕に斷金の交を結び、互に主伴と爲つて、輪次に天台の教學を講習した。時に三師相和し、相敬重すること互に世尊を視るが如く、【
三光勝會
】之を
三光勝會
と稱した。始め三井寺在住の際、衆の懇望によつて四教儀詳解を作り、自他之を珍とした。天正七年七月二十五日示寂した。著作に四教儀詳解がある。(本化別頭佛祖統記)