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(五五)文西洞仁

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 洞仁、字は文西、建仁寺派の宿耆で學和漢を兼ねて精通した。始め越前安居莊弘祥寺の住職であつたが、戰亂を避けて堺に來り、【大安寺寓居】大安寺に寓居した。從學するもの甚だ多く、【文西澤庵】慶長六年澤庵宗彭の堺に來るや、亦文西に就いて硏參した。澤庵の筆蹟は卽ち文西の流に出でたものである。斯くして文西終焉の期に臨み、典籍を擧げて、澤庵に附與した。慶長九年八月二十五日大安寺に於て示寂した。(東海和尚紀年錄