ビューア該当ページ
目次
/
第一編 人物誌
/
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(五五)文西洞仁
92 ~ 92 / 897ページ
洞仁、字は
文西
、建仁寺派の宿耆で學和漢を兼ねて精通した。始め越前安居莊弘祥寺の住職であつたが、戰亂を避けて堺に來り、【
大安寺
寓居】
大安寺
に寓居した。從學するもの甚だ多く、【
文西
と
澤庵
】慶長六年
澤庵
宗彭の堺に來るや、亦
文西
に就いて硏參した。
澤庵
の筆蹟は卽ち
文西
の流に出でたものである。斯くして
文西
終焉の期に臨み、典籍を擧げて、
澤庵
に附與した。慶長九年八月二十五日
大安寺
に於て示寂した。(
東海和尚紀年錄
)