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(七一)半井明親

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 半井明親は利長の子で、從三位宮内大輔に任じ、紫纓を賜はり、名を貞長と改めた。(半井家系圖)薙髮して蘭軒澄玄と稱し、後柏原天皇より春の一字を受領して、【春蘭軒春蘭軒と號した。永正中入明し、【武宗帝の治療】武宗帝を治癒して功あり、(半井家系圖、寬政重修諸家譜卷第六百七十九)銅硯及び驢馬二頭を賜はり、醫伯熊宗立も亦神農像及び銅製人形を贈つた。歸朝の後驢馬一頭を朝廷へ進獻し、一頭は乘用とした。因つて驢庵の號を賜はつた。又足利義政の奏言により、金地に裏菊の末廣を下賜せられた。半井家の家紋は之に由來するのである。【堺退隱】晚年堺に退隱した。天文十六年四月七日卒し、大德寺眞珠庵に葬つた。法號を春蘭軒澄玄といふ。(半井家系圖)大通庵の墓地にある墓碑には、三要澄玄居士と見えてゐる。

第二十一圖版 半井明親墓碑