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(一五六)南江宗玩

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 宗玩字は南江漁庵と號し嘉慶元年美濃に生れた。始め相國寺の玉龍庵に入り、雲溪支山に就いて僧となり、(堺鑑下)後一休に師事した。(堺鑑下)【堺に來り葦原に住す】永享四年還俗し、一休と相携へて堺に來り、(東海一休和尚年譜)南莊葦原の海濱に草庵を結び、隱栖すること三十年、漁庵老人と號し、日々釣竿を手にして、優游自適した。寬正四年夏病に罹り、(堺鑑下)食を絶つこと數日、住吉の茅庵に歿した。(五山詩僧傳)享年七十七。(堺鑑下)詩稿一卷あり、鷗巢集といふ。

第三十八圖版 南江宗玩墨蹟